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夏のおもいで3 おたきさん

小学校の同窓会があった。

わたしは転校生だったんだけれど、転入してきたときにまず「前の学校で何て呼ばれてた?」と訊かれた。わたしが「たーちゃん」と答えると、クラスメイト達はしばらく思案した末、わたしのあだ名を決めてくれることになった。
 
そして後日開かれた学級会で、いくつかの候補の中からほぼ満場一致でわたしの新しいあだ名は「おたきさん」に決まった。その古風な響きを受け入れることは、齢8つのわたしには厳しいものだったが、何も言えなかった。
 
気に病まなくても、じきに「おたきさん」は「おたき」になって、中学校までには「たき」とか「たっきー」になった。
 
その宴のあいだ、わたしは席をちょこちょこと移動できるタイプではないので、ずっと同じ場所で同じ人達と話をしていた。
 
面子は、きーちゃんとひーちゃんといーちゃんという子達だったんだけれど、呼びかけているうちに何度かこんがらがってしまった。

当時はそれぞれが違う子とつるんでいたから、不便はなかったのかもしれないが、そりゃまぁ「たーちゃん」ではだめよね。わたしが「たーちゃん」のままだったらこの席はもう一段階複雑になっていたよね。

 
 
でも何故か、今回の同窓会ではみんながみんなわたしのことを、下の名前で呼んでいた。
 
あの学級会での多数決は何だったんだ。 忘れてんじゃねぇ。

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夏のおもいで2 時限装置

わたしはわりかし物持ちがいいほうで、革製品はなかなかこなれた風合いにならないし、洋服も10年以上着ているよそ行きが結構ある。持ち物は、価格にかかわらずそれなりの手入れをしているつもりだ。

でも今年の夏は手持ちの合成皮革製品の当たり年だったのか、強い日差しに耐えられなかったのか、外出するたびにサンダルや靴が壊れてゆくという夏だった。
 
一応、合皮は経年劣化するということは心得ているので、使う前によく確かめておくのだけれど、ついさっき、今の今まで健在だった合皮の表面に1センチほどの裂け目を発見した瞬間、そのお出掛けは終わる。
 
使用中に死を迎えた合皮が朽ちてゆくスピードの非情さは、経験した者しか知り得ないだろう。それはもううっかり倒しちゃったドミノほどの速さで、わたしは到底隠し切れないほどのモロモロ(残骸)にまみれる羽目になる。
 
激しく壊れた合皮にまみれて街で途方に暮れているひとなんて、自分以外に見たことがないのだけれど、一般的に合皮製品は一気に使い込んで、命あるうちに処分するものなのだろうか。それとも誰にも知られずひっそりとクローゼットでこと切れる合皮が多いのだろうか。
 
合皮との付き合いを見つめ直す夏。

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夏のおもいで1 モロヘイヤ

秋ですわ!
 
ああ、またもやブログを仮死状態にしてしまったわ……と反省しています。
更新しようと用意していたらしきメモを発見しましたので、いくつかご紹介しようとおもいます。

 
 
この夏は(も)、野菜の価格が高かったとのことで、我が家は価格の安定していたモロヘイヤをよく食べていた。
束にして売られているモロヘイヤの葉っぱを、茎からプチプチ外してゆくその行為に、わたしはひと夏の間ずっと悩まされていた。

一食につき二束分のモロヘイヤの葉っぱを取るのだけれど、あまりの面倒くささにずっと足踏みをしていた気がする。苛々して。
 
しかし、わたしは日に一度は青菜を食べないと気が済まないという性分ゆえ、自分が招いた結果といわれれば当然で、一応黙ってプチプチと葉を取り続けたのである。
 
わたしとモロヘイヤとの出会いは、高校生の頃だ。友人とふたりで行ったアフリカ料理のお店のメニューに“モロヘイヤのスープ”というメニューがあった。それまでにも食べたことはあったかもしれないが、当時はまだまだ野菜というよりただの葉っぱの印象が強かったようにおもう。
 
けれどそのスープをわたしも友人もひと口で気に入ってしまって、それから何度もそのお店に通った。
 
モロヘイヤの夏を過ごしたこのわたしに言わせていただけば、高校生の分際でモロヘイヤをふんだんに使ったメニューを頼むなど、生意気盛りの年頃とはいえ、おもいあがりも甚だしい。お金の問題ではない。おまえら貴族か!とタイムスリップして胸倉を掴んで揺さぶりたい気持ちだ。
 
今、あのスープを供されれば、あまりのありがたさに骨身にしみるだろう。
 
でもあのお店はもうない。
 

 

 

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