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蜜月

いいお菓子がうちにあると、父が異様にチェックしてくる。
 
 
父の職場にコモリさんという人がいるそうなのだが、嫌なおじさんだらけの場所で、コモリさんは父が唯一仲良くできるおじさんらしい。しょっちゅう「コモリちゃん、めっちゃおもろいねん」という話を聞かされる。多少体調が悪い日でも、「今日、コモリちゃんおるし行くわー」と頑張って出勤したりしている(これは父にしては画期的なのです)。
 
で、そのコモリちゃんは甘いものが大好物ということで、父は洒落た包装や箱に入ったお菓子をみると、「これ、何や? どんなや? 有名か?」と、怒涛の質問を浴びせてくるのだ。
 
コモリちゃんは歯が悪いので、あんまり固いものはNG。いつの間にかわたしと母の頭にもその情報が刷り込まれてしまい、デパートに出掛けたりするとすぐ、
 
あ、このリーフパイはコモリちゃんが好きなやつちゃうかなぁ? とか、ナッツ入りはコモリちゃんいけるんかな? とかいちいち考えてしまうようになった。
 
 
一体、どんな人なんよ。コモリちゃん。
 
 
今朝も、わたしが楽しみにしていたスティックチーズケーキを羨ましそうに父がみていたので、賞味期限が近いんやけど、と言い訳すると、
 
「大丈夫や!」
 
と2本大事に持っていってしまった。
  
 
きっと2人で仲良く食べるのだろう。
 
初老がなにしとんねん、という気持ちはあるが、できるだけ長く続いてほしいものよ……。と微笑ましくもある。
 

 
 

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実家感

我が家はマンションで、いつもエントランスに管理人さんがいる。管理人さんは住み込みのご夫婦なのだけれど、もうずいぶん古いマンションなので、今の管理人さんは3代目だ。
  
1代目の管理人さんは、わたしも子供だったので、しょっちゅう押しかけては構ってもらっていた(業務妨害)。2代目は、うちが持ち回りでマンションの理事をしていたので、なんだかんだで交流があった。でも、3代目管理人さんは挨拶程度しか交わさないまま、数年が過ぎてしまった。
   
3代目管理人さんの人となりは全く知らない。就任当時から挨拶の圧がものすごくて、張りきっている方だ……という印象しかない。まぁ、でも最初だもん。そのうち落ち着くだろう、とおもっていたけど、そのテンションは未だほぼ健在で、おそらくそういう人なんだなぁ……と気づいた。
   
張りきりはマンションのそこかしこに現れていて、お花のプランターや季節の切り花が増え、住民同士の茶話会や趣味サークルのようなものができ、掲示物が色鉛筆やマーカーで華やかに彩られるようになった。もちろん、手描きのイラストを添えて……。
 
そういうものに行き当たるたびに、わたしはハッと胸を衝かれるような想いでいるのだけれど、ご近所はおろかうちの両親からも、とりたてて感想を聞いたことがない。是非に及ばずとでもいうのか。
 
かくいうわたしも、この状況がそこまで嫌だというわけではない。ないけれど、だ。
 
いつの間にかゴミ捨て場に『ごみステーション』と書かれたステンシルで花柄のお手製看板が掛かっている。管理事務所がそこそこ大きなレース編みの作品たちに覆われつつある。おお……、とおもう。このマンションは、加速度的に実家化している(事実、わたしにとっては実家だけど)。
  
そのうち、ドアノブカバーがついてしまうのではなかろうか。ビール瓶を芯にして、紙粘土で作られたお姫様人形が飾られるのではなかろうか。作りすぎたおかずがもらえるのではなかろうか。
  
 
昔のすこし殺風景な状態が好みだという気持ちと、どうせなら、エントランスホールの壁にパッチワークでも吊るそうぜ! という気持ちと――。
  
わたしの価値観が揺らいできているのも事実だ。
  
  
  

  


 

 

 

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デコ文字

幼稚園年長さんの甥っ子が、気がついたらすっかり“男の子”になってしまってちょっと寂しい。
 
こっちの都合でべたべたすると邪魔っけにされるし(向こうの都合では来る)、もうこの子は一生泳げないんじゃないかとおもっていたけど泳げるようになったし、サッカーのドリブルも上手になってきたし、虫もひとりで捕まえられるし、隙あらば自転車を乗り回してどこかへ行こうとする。
 
そしてなにより悲しいことに、ものすごい勢いで男子特有のしょうもない言動が増えつつある。
 
息子はおかあさんのちいさな恋人、という説もあるけれど、彼はわたしの甥なのでそんな甘い関係にはなるわけがなく、わたしはこの年齢になって初めて、男子という生き物の実態を知って驚いてばかりいる。どうせなら、もっと早く知りたかった。
 
すぐに誰かに言いふらしてしまうので、甥の前で話せないことも多くなって不便だ。(でもコソコソすると絶対についてくる)文字も読めるので筆談もきっと危ない。漢文でもするか。レ点とか一二点しか覚えていないけど。
 
どこで見ているのやら、甥にも知っている漢字はあって、自分の名前の漢字や簡単な構造の漢字はわかっていたりする。
 
夏休みに甥のリクエストで回転寿司屋さんに行った時も、メニューにあった“籠”という字を指して、「ねぇねぇ、この字ドラゴンって書いてある」と言っていた。彼の名前は龍という。
 
「ほんまや。でもちょっと違うけど。カゴって読むねん」
 
「ふうん……りゅうさぁ、この字も知ってる」 (と、“中トロ”を指す)
 
「すごーい、おしえて?」
 
「にくとろ」
 
 
 
……にくとろ?
 
一瞬固まったあとに、妹と爆笑してしまった。惜しい! 惜しいよ、りゅう! 
 
「りゅう、それラーメンマンやん! キン肉マンのおでこの字は、もうちょっと違かったやろ?」
 
息も絶え絶えになりながら笑った。おもいだすと、今でもあったかい気持ちになる。
 
 
 
ところで、甥はキン肉マンのことをどこで知ったのだろう? 再放送をしているのか? りゅうは、こっそりわたしが近づいてみると、何故かGAOの『サヨナラ』を歌っていたりするので、本当は何歳なのかわからなくなる時がある。
 
 

 

 

 

 

 

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山の魔物

今年の夏は山に登った。乗鞍岳の剣ヶ峰まで行った。
 
3000メートル級の山とはいえ、標高2700メートル地点まではバスがある。わたしは殆どなんの用意もせず、普段の服装といつものスニーカーでそのバスに揺られていた。登山の心構えがまったくなっていない。
 
道中、父に「おまえ、なめとんか」と8回くらい怒られたけれど、わたしは父に騙されて乗鞍に連れて行かれたため、聞く耳を持たなかった。上高地に行くっていうから来たのに。登山は嫌って言ったのに。
 
(そういえば、登山の1か月ほど前に父がいきなりトレッキングシューズを買ってやると言いだしたことがあり、どこで履くねん! と断ったのだけれど……。計画的だったのだ)
 
多少起伏のあるハイキングコース、といった道を親子で黙々と歩いていく。何度パンフレットを確認してみても、一番高いところ(剣ヶ峰)を目指しているのは明白。お花畑を散策したいという意見を無視され、練習はいらないと言っているのに100メートルほどの峰に登らされ、あの写真を撮れここの写真を撮れ、と言いつけられて、美しい景色を前にしても怒り以外の感情が湧いてこない。
 
剣ヶ峰を登山道の入り口から仰ぐと、青い服を着た人々が峰に連なっている様子が見えた。あまりの途方ない高さに、土下座してでも帰りたくなったけれども、父が有無を言わさず進んでいくので、泣く泣く後に続いた。
 
 
周りの人全員が変態に見える。まだ始まってもいないけれど、登り終えたとてそこがゴールではないのだ。ここからバス乗り場に戻る道のりを考えただけでおもう。悪夢。もうすでに充分に悪夢。みんな苦しいのが好きなのか。街ではあんまりいないビビットな配色の服装の人々が、喜々として土を踏んでゆく。Mってこういうこと? 「Mの皮をかぶったドS」と長年の友人に言わしめたこのわたしには、絶対向いてない。
 
身体がつらくなることに対しては嫌ではなかった。ただ、登って下りるってめんどくさすぎる。きれいな景色はもう見ている。きれいな空気も吸いました。で? 多分これ以上のものってそうないよね? もうネタはほぼ出し尽くしているよね、山よ。登山愛好者はどうしてこんなに面倒なことが何度もできるのか。時に命を懸けて。はぁー、頂上を目的にすると下山がつらくなるから、下りた地点(登山口)を目標にしよう。……うわーん、それやったらすぐそこやん! 目標達成のためには、もう下りたほうが早いやん!
 
足元だけを見て、えっちらおっちら歩を進めていると、なにも考えないようにしようとしていても、延々と考えてしまう。身体のしんどさは予想していたほどではなかった。ただ猛烈に面倒。
  
その面倒さをひたすら堪えて中ほどまで登ったところで、両親が「もう下りよう」と言いだした。よしよし、やっと言ってくれたね!
 
  
立ち止まって休むと、眼下にちいさく麓のお茶屋さんの赤い屋根。顔を上げると、すこし迫ってきた青ジャージの学生が列をなしている峰。
  
「わたし登る」
 
下りるのも面倒になった。まだ体力も大丈夫。行けるな、と感じたら急に楽しくなった。もしも山頂で力尽きたとしたら、もうそこに住んじゃえばいい。どうせ下りるのは面倒だったし。両親を置き去りにしてがしがし登った。
 
ぜーぜー息を切らしていると、下ってきた学生とすれ違うことになった。一学年分の、おそらく中学生がずらりと一列になって「こんにちはー!」「こんにちはー!」「こんにちはー!」「こんにちはー!」……ひとり残らず笑顔で挨拶をよこしてくる。あらまー、元気やねぇ。おばちゃんらしく目を細めてしまう。中学生たちは、足場を選びながらもすたっ、すたっと下りてくる。次々と下りてくる。
 
永遠に続くかのような「こんにちはー!」の波。100ではきかない数の青ジャージ。ぴかぴかの善意を無下にするなんて到底できない。しゃっくりのような息継ぎを挟みながらも挨拶をなんとか返す。動悸が激しすぎて心臓が痛くなってくる。溺れている人は非常に静かなんですよ、と語る水難事故対策の専門家をおもいだした。
 
力を振り絞って離脱し、中学生の挨拶が及ばない岩影で復活を試みるわたしを、初老のご婦人方が談笑しながら抜き去っていった。幼稚園児くらいの男の子をおんぶしたお父さんと、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが颯爽と登っていった。平地と変わらない確かな足どり。どうして? あの「こんにちはー!」地獄をこんなにも軽やかに……。
 
山を愛する人々は、とても常人とはおもえない。
 
上りへの道が急に詰まってきた。頂上のご神体にお参りするための列だった。
 
山頂からの眺めは雲の切れ間からたまに覗くくらいで、予想の範疇は超えなかった。けれど、いっちょまえにも開放的な気分になり、見知らぬご夫婦やおじいさんたちと、身体が冷えるまで写真を撮りあいっこしていた。ものすごく高揚していたのに、翌日デジカメを確認したら、必要以上に老けていたのできっと現像はしない。
  
面倒だったなー、という気持ちに今でも変わりはないし、もう登山は嫌なんだけれど、次に登るならやっぱり高い山がいい。
  
その後、頂上まで辿り着いた両親に、わたしは足を引きずってでもお花畑へ行くことを宣言し、温泉の日帰り入浴も堪能して帰るつもりであることを発表した。(わたしは長風呂)
 
 
なかなか終わりそうもない旅に、誰よりもへろへろになった父はわたしを騙して登山に連れて行ったことを後悔していた。
 

 

 


 

 

 


 

 
 

 

 

 

 

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夏の団地妻

素敵な夏を過ごされましたか。

 
直射日光が苦手なわたしにとって、夏はつらいものなんだけれど、今年はなんだか短く感じた。年齢のせいか? もうちょっと夏でもよかったのにな。

 
え、まだ暑いよ!? という方もいらっしゃるとはおもうけれど、いくら暑くても9月は秋。オシャレ界ではもう秋を感じる装いをしなくてはならない(はず。オシャレじゃないからよく知らないけど)。事情により、この夏は例年以上に子供にまみれて暮らしていたので、汚れてもいいような服しか着られず、なんだか着たい服を着ないまま夏が終わってしまった印象なのだ。

 
昨年、夏のワンピースを買っていたので、それを着るのをすごく楽しみにして夏を迎えたのに。たったの1回しか着られなかった。

 
そのワンピースは淡い配色のマルチボーダー(まるで一昔前のレジャーシートのような……)で、クローゼットにかかっているのを見るたびに「かわいい……」と胸に沁みるくらい気に入っているのだけれど、似合う似合わない以前にそのワンピースを着るとなんだか団地妻みたいに見える。

 
もっと正確にいうと、
夏の夕方にごはんの支度をあらかた済ませ、子供と一緒にお風呂にも入り、夕涼みがてら共用廊下に出てきた昭和末期の団地に住む奥さん
みたいに見えるのだ。

 
もちろん、すべての人が団地の内部を知っているわけではないし、わたしが住んでいた団地の奥様方の流行のスタイルだったのかもしれないので、気にすることはない。そうはおもっても、ふとした拍子に「……なんかコウちゃんのお母さんらが着てたやつみたいやな……」と感じてしまうこの気持ちは止められない。

 
来年の夏、この団地ワンピを着ているわたしに遭遇しても、どうか静観していただきたい。


 
(なお、ワンピースのせいでなく、わたし自身が所帯じみていて醸し出された団地感であった場合は、早急にお知らせください)

 

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