« 真綿にくるむ | トップページ | 伝統 »

父なるダム

夕食を食べたあとに、食器を片付けないとなー……ないとなー……とおもいながらもぐずぐずしていたら、父が「林檎を剥いてくれー」と言った。
 
「えー、今?」とか答えながらやっぱりぐずぐずを続けていると、父は自分で台所からお皿と包丁と林檎を持ってきて、床に拡げた新聞紙の上で林檎をくるくると剥きはじめた。
 
父が包丁を握る姿を、わたしは生まれてはじめて目にした。すぐにスマートフォンを取りに行き、写真で一部始終をおさえた。そして妹にlineで報告をした。
 
母は何度も父に林檎を剥いてもらったことがあるらしく、「おとうさんは林檎の芯を四角く切り取らはるで」と予告していた。その通り、おそらく一般的には三角に切り抜くであろう芯を、父は山賊のような包丁さばきで四角く切り抜いていた。
 
4分の1に切り分けた林檎を父がひと切れくれた。林檎は父の掌のにおいがした。父が今から料理にはまっても、おいしいものは作れなさそうな掌だとおもった。父の長年の趣味のひとつはヘラブナ釣りで、そのせいで父の手には川のにおいが染みついている。
 
父に林檎を剥いてもらった翌日に妹と会ったときに、味の感想を訊かれたのだけれど、「ダムっぽかった」と伝えたら、妹は「なんか解る」と笑った。
 
手を繋いでもらったり、頭を撫でてもらったり、父になにかをしてもらった記憶とダムの溜め池のにおいはわたしたち姉妹にはセットになっている。(その手でどつかれたりもしてますが)
 
将来不意にダムのにおいをかいだら、わたしたちは父をおもいだしたりするのだろうか。ダムで泣いていたら、あらぬ疑いをかけられたりしないだろうか。
 
もう最終的にダムがおとうさんみたいになるのだろうか。父なるダム。包容力は実際の父をはるかに凌ぐはずだ。

 

|

« 真綿にくるむ | トップページ | 伝統 »

日々のこと」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。