音楽とわたし
友人が、子供の頃から使っていたピアノを処分して電子ピアノが欲しいという。一緒に買いものにでたときに、楽器店に寄ってみた。
お店のひととあれこれ話す友人と離れて、ぽんぽんと鍵盤を押してみたり、商品で本気弾きをしている少女の演奏を聴いたりしていた。
友人は電子ピアノなら場所もとらないし、ちょっと趣味で弾くくらいなら最適だ! と購買意欲が毎分上昇している。わたしも「いいやん、いいやん」と後押ししてみる。いいやん、蓋も気にならないし。
わたしは本物のピアノの蓋が苦手だ。弾けないくせになに言ってんだ、とはおもうが、ピアノを弾いているひとのそばにいると(なにかの手違いで)蓋が閉まって手が挟まったらどうしよう! と想像してしまってぎゃーっとなる。
指を大切にしないといけないひとが使うものなのに、どうしてピアノの蓋はあんなに重いの?
なにかと過保護な世の中なのに、ピアノの蓋は安定の重さ。軽いと余計に閉じやすいのか? 風吹きゃ閉じるほどの軽さにしろとまではおもわないけど。
それとも、子どもの頃に触ったきりだから、当時は重く感じたけれども、実はそんなに重たくないのだろうか。
わたしの人生は音楽と縁がない。終わりのはじまりは、ピアニカだった。小学校低学年のある日の帰り道、ピアニカをドブ川に落とした。(なにをしていて落としたのかは謎)
お堀状の川だったため、学校まで戻って用務員さんに網でとってもらった。真新しいピアニカはどろどろで、綺麗に洗ったけれど白いホースの細かい蛇腹の部分に藻が残って、不快で不快で音楽を楽しむ余裕などなかった。
学年が上がってリコーダーに変わっても、音楽とのすれ違いは続く。わたしは3年生で転校したのだけれど、転校先が合奏が盛んな学校だったのだ。♪ソーラーソーラーとか呑気にやっていたのが、早速の「茶色の小瓶」で落ちこぼれる。
すっかり傷心のわたしは、音楽の授業中練習を疎かにしてピアノの蓋の悲劇に心を砕いていたのだ。
友人は、黒の電子ピアノにするか茶色の電子ピアノにするか迷っている。蓋は? 蓋のないのもあるよ、と提案してみたけれど、「蓋はマストでいるやろ」と言い切られた。
マストかー。
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