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おしえて! ヨシズミさん!

2年ほどまえに、自分用の裁縫箱をつくった。と、いっても、空いたカゴにぽんぽんと道具を放り込んだだけのシロモノなのだけれども。

以来、あえて何かを買い足したわけではないが、これといって不自由はない。まぁ、裾あげと釦付けくらいしかしないから、当然だ。

それでも唯一裁ちバサミは買わないとなぁ……とおもっていたのだが、押入れを整理した時に、母のものが余っているのをみつけて貰ってしまった。

 

ところが、この裁ちバサミが切れないことこのうえないのだ。

 

でかいなりして、糸しか切れない(しかも糸切りバサミはよく切れるのがある)。工作バサミのほうがシャキシャキと布を裁てるとは何たることだ。あっさりとセラミックに抜きんでられてよいのか? 立ち上がれ! 鋼の裁ちバサミ!

おそらく、彼を砥ぎ屋さんに持っていけば活躍してくれるだろう。しかし面倒。道中、職務質問でも受けてしまったら、銃刀法違反とかでしょっぴかれるかもしれないし(言い訳)。

 

ああ、こんな時にヨシズミさんがいてくれたなら。

タウンページのCMをみるたびに、「結局タウンページをひくって……。石原良純に頼むまでもないわ!」と悪態をついていたけれど、やっぱりわたし、ヨシズミさんがいないと何にもできない。

会いたい時に、ヨシズミさんはいない。何故なら、別にどうでもいい時にさえもヨシズミさんがわたしの前に現れたことはないからだ。

 

ヨシズミさんなしの人生をわたしは生きてゆく。切れないハサミを携えて。

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体になにが起こったの?

すっごい体重計を貰った。
 
体脂肪や骨量まではかれる体重計だ。タニタ製。
 
 
早速のってみる。いろいろな測定結果が表示されたあとに、体内年齢がでる。27歳。微妙だ。
 
家族は実年齢を大幅に下回っていたのに…。納得いかずに、わあわあ嘆いていると、母が言った。
 
「脱衣所の床より、台所の床のほうが固くてまっすぐなんじゃない?」
 
ナイス、母。
 
台所に移動して、再び測定してみる。が、体重は変わらない。あーあ、とおもったら体内年齢がでた。29歳。

…迫ってきとる…!

数メートルの移動のあいだになにがあった。わたしの身体よ。5分やそこらで2歳も老いるなんて、尋常ならざる老化スピード。
 
もう一度はかってみようか。でも、さっきよりも確実に時間は経っている。仮に両方の測定結果が正しかったならば、今まさに実年齢を追い越している。
 
あああああ…
 
アンチエイジングとか、冗談でしか言ったことはなかったけれど、わたしは案外本気だったのかもしれない。
 
素直になって! とタニタ食堂が呼んでいる。

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マイスウィート

関西弁、というよりも、もう少し使用地域は狭まるのかもしれないが、お坊さんのことを「おっさん」という呼び名がある。ご本人に直接そう呼びかけることは殆どないけれど。

「おじさん」を意味する「オッサン」と同じだけれど、発音は違う。「おっさん(お坊さん)」は“お”にアクセントがくるのだ。

「おっさん」は尊敬と親しみを込めた(?)呼び方なのだけれど、うちの家のひとは使わないなぁ…と長年おもっていた。しかし、そうではなかったことが発覚。母は、母の実家に来る真言宗のお坊さんのことは、こっそり「おっさん」と呼んでいたのだ。

タキガワ家の浄土真宗に対して、母が違和感を持っているらしいことは、うすうす気づいていた。でも、そんなに頑なになることはないじゃないか。そうおもってから、ハッとした。


未だに婚家に馴染めない…ということだったらどうしよう。


そんなことないよね! おかあさん!

「アタシのおっさんはひとりだけ…!」そんな気持ちなんだよね? おかあさん!

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びろうなはなし

父が寝込んだので、近所のコンビニまでスポーツドリンクを買いに行った。

お会計を済ませ、ガラス張りのドアを開けようと取っ手を押すと、掌にぺたっとかすかな感触があった。何だろう? おもてにでてからしげしげと確める。

噛んだガムのちょっとしたかす? いや…違う…。
はなくそだ!

ちょっと誰なの?! 故意だか過失だか知らないが、この粘った感じからして、犯人はきっとまだ近くにいる!

わたしは他人のはなくそくらいで動じる女ではない。しかし、誰かわたしにティッシュをくれないか。だって、現在所持品は小銭入れのみ。


仕方なく、手をパーにしたまま帰る。もしかすると、はなくそじゃないかもしれない。道中何度か眺めてみたが、やはりはなくそにしかみえない。

帰宅するなり、母に訊いてみた。これ、何にみえる?

母はぐっと押し黙ったが、はなくそやんな? とわたしが言うと、「はなくそやな」と認めた。

わたしはようやく晴れ晴れとした。年々、人間のちょっとキタナイ物事が降りかかると、怒りよりもほっとするような気持ちになる。よかったー、とおもうのだ。

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