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ご長寿のひみつ

先々週の日曜日の朝。外出する前に、父に大河ドラマの録画を頼まれていたことをおもいだし、予約録画をしておこうとテレビを点けた。

画面では、オーケストラを背にしたデーモン小暮閣下がディープパープルをうたっている。うわ、と動揺しつつも、そこまで時間がなかったのでさっさと用事を済ませて家をでた。しかし、1日が終わるまでのあいだ、何度か閣下のことをおもった。

日曜日の朝にデーモン。何故、という気持ちを拭いきれない。


そして先日。寝るまえになって、そういえば…と再び閣下の顔が浮かんだ。数日前の日曜日の新聞を探しだし、テレビ欄を確かめた。


題名のない音楽会…ビートルズ名曲 吹奏楽と民謡で熱演!


「題名のない音楽会」といえば、子供の頃にビックリマンやメイプルタウン物語などのアニメのあとに始まる、すごくガッカリさせられていたあの番組…。もうガキの時間は終わりだ! と、言わんばかりの厳つい雰囲気だった記憶がある。気のせいか、出光のCMもちょっと怖かった。まだ放送されていたのか。しかも、やけにはっちゃけた番組内容ではないか。

これがあれか。年齢を重ねて丸くなる、というやつか。でも何十年も番組を観ていないわたしは、とてもじゃないがそんなに簡単に心の位置を変えられない。

まるで真面目で無口な上司の酔態を目にした時のような戸惑い。

こういう時、すぐに追いつきますから! と杯を重ねても、なかなか酔っ払えないのはどういう仕組みだろう。あ、そういう話じゃない。

今、わたしが手をかけているこの扉は、果たして開けてもいい扉なのだろうか。でも観たい。この目で確かめたい。

 

好奇心は猫を殺すという。

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オトメ

病院で、定期的に細々とした検査を受けている。

検査室の係のひとは2人。20代後半でアシンメトリーな髪型をした男子と、やわらかな物腰のナイスミドルだ。血圧を測ったり、採血をしたりしてもらう。

わたしは断然ナイスミドル狙いなので、彼が入口に向かって歩いて来たところを見計らって入室する。ところが今日は、若いほうしかいなかった。ほんのちいさな楽しみなのに…。

しかもショックなことに、採血の腕はあきらかに若造のほうがよかった。そんなばかな…。

血を採ってから、廊下の長椅子でジュースを飲んで、検査室横のお手洗いに入る。検体を提出する小窓に、紙コップに入ったブツを置く。

小窓のすりガラスを閉めようとした時、向こうにいた男性とちらりと目があった。

検査室にナイスミドルが戻ってきていたのだ。

もう終わりだ…。

ナイスミドルにしてみれば、数ある職業的尿のひとつだろうが、わたしにとっては違う。いつもは細心の注意を払って、若造に押し付けていたのに…。

トイレで身悶え。一瞬の気の緩みが生死を分ける。

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イーブン

散歩のコースに小学校の通学路を選んでみた。

わりと大きな公園が途中にあり、小学校中学年くらいの男子がたくさんいた。ふと公園の花壇に目をやると、そこにひとりの男子が身体半分以上埋まって、横たわっていた。

どういうつもりで? と、通りすぎるあいだじゅう見つめていたら、遠くにいた別の男子が走り寄ってきて、「テラちゃんみっけー!」と叫んだ。

土まみれのテラちゃんは悔しがっていたが、かくれんぼの鬼が、わたしの視線によりテラちゃんを発見してしまったことがすぐに発覚(言うなよ、鬼)。

テラちゃんにメンチをきられる。

 

小さな甥っ子の世話をしていても、男子って……しょうもねーな……とおもうことは多々ある。テラちゃんには悪いけれども。

涼しい顔で散歩を再開し、どんどん道をゆく。小学校の門はすでに閉ざされている。帰りは違う道を通ろうかな、とおもい、小学生の頃に「近道」とされていた道が、本当に近道だったのかを検証してみることにした。

通学路は、新しい住宅地も増えていたが、旧家が建ち並んでいる近道のあたりは殆ど変わっていなかった。しかし、近道は通ることができなかった。

あきらかに、ひとん家。私有地どまんなかの庭先や畑を、わたしは近道にしていたのだ。

数多くの児童が通っていたはずだが、よく問題にならなかったなぁ。卒業後に禁止になったのかもしれないが。当時、ランリック分の幅があれば、それは隙間ではなく道だと信じていたのはわたしだけではなかろう。

けれど、今現在のわたしだと、「通り抜け」というよりも「侵入」。通報されてもやむを得まい。

だっておとななんだもの。

 

そういえば、たびたびお茶や農作物をもらったりして、その家のひとと話し込んでいた記憶もある。男子はしょうもないが、女子だって充分しょうがないな。

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長い道

桜が咲く季節になると、やっぱりなにか始めたいわぁ…という気分になる。

それで今週から開始のNHK朝の連続テレビ小説を最終回まで観てみようと決めたのだ。

「オードリー」だの「ちゅらさん」だの、かつて妹が熱心に視聴していたのは知っているが、わたしは1話足りとも観たことがない。わたしの周りのちゃんとした大人は、結構毎朝ドラマを観ているひとが多くて、憧れていたのだ。
 

なのに、第1話をチェックして以来、すっかり決めごとをしたのを忘れてしまっていた。
 
 
急速に喪われてゆくヤル気。解っている。朝ドラを観たから、ちゃんとした大人になれるわけじゃなくて、ちゃんとした大人の朝には余裕がある、ということ。規則正しく生活している結果だということ。
 
しかも、母に「成宮くんが出演しはるみたいやから、最後まで観たらどんなやったか教えてあげるよ!」って言っていたのに、もう亡くなったっぽかった…。
 
意思も記憶力も、唯一のミッションまでもをなくし、三日坊主にもなれないわたしが一体何をできようか。
 
朝ドラは1年間くらい続くのかしら? 先の見えない不安ってこういうことだろうか。

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