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旅のはなし2

『盲人象を評す』って絶対に嘘。

 

水族館で、500キロを超えるセイウチに触らせてもらった。

すごいのだ。かつてないほどの分厚い手触り。なんだ、この非現実感。「あー、なんかわたし太ったな…背中が土佐犬みたいやん」とか言いながら自分の背中を気にしたこともあったが、そんなのまったく比にならない。

だいいち、のたのたと近寄ってこられたときの圧だけでもすごい。あれがオーラか? 

わたしの人生史上では、横綱と目があったときと匹敵するくらいの迫力。まぁ、セイウチの場合は、セイウチの行動にまるで予測がつかない恐怖、というものも加味されているが。

とにかく、何倍も空気に敏感なひとが、あのただならない雰囲気を無視できるわけはなかろう。そばにいるのが象であってもそれは同じなはずだ。だってセイウチよりもっとでかいんでしょう。

 

しかし、ショーの目玉でもある“セイウチと触れあおう企画(輪投げやキス)”のときに、観客が誰ひとりとして立候補しないのには気まずかった。

アシカやイルカならば子供達がこぞって手を上げたかもしれないが、セイウチはなぁ…。ここでオトナのわたしが立ち上がるべきか、と迷ったが、セイウチが行き来するたびに床の水溜りが茶色く濁っていくのをみて、うわぁとおもってしまった。

 

まぁ、飼育員さんも「セイウチをみたいけれどもちょっと敬遠してしまう」そんな観客心を汲み取って、セイウチのうがいした水をわざとかけようとしたりして、わたし達をパニックに陥れたりして笑っていたけれども。

 

「セイウチを触ったあとの手はちゃんと洗ってね。めっちゃくさいですよ」と飼育員のお兄さんが言った。おそるおそる嗅いでみたけれど、無臭だった。 

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旅のはなし1

先日の旅のメインは、某おおきな神社に行くことだった。 

とにかく格が違う、というのでたのしみにしていた。朱印帳も忘れずに持っていった。どんな有り難いご朱印がもらえるのか。

 

はちきれそうなわくわく感をおさえつつ「ご朱印お願いします!」と申しでる。

神の代理人のおじさんが、ぺたりとはんこを捺し、さらりと筆で日付をいれる。「はい、どうぞー」

 

え…。これだけ?

 

わたしはものすごくがっかりした顔をしたらしい。とぼとぼと社務所から戻ってくるわたしを、同行者が爆笑しながら激写していた。

 

だって、はんこを捺して日付をいれるだけなら、それこそスタンプラリーみたいじゃないか。そのへんの机に置いといてくださったら、わたし自分でやりますよ。

しかもはんこが超シンプル。「奉拝」とかそういう一言はいれて欲しい。

参拝者の数も多いので、そこまでするのは無理なのかもしれないが、わたしが神ならやるね。日本最高峰の神のプライドにかけて。ほかの神社の追随を許さない、ものすごいのを書くね。

 

わたしは、接客業ばかりに携わってきた経験から、ポーカーフェイスには自信があったのだけれど、ご朱印をもらっているあいだ、わくわくから落胆までの感情の変化がわかりやすく顔にでていたという。

まだまだ修行の足りない若造め、という神からのお達しなのだろうか。

 

 

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慣れる

旅にでた。

そうしたら、その土地のどこに行っても栗の木の匂いが凄まじくて、車を降りるたびに「…うわぁ…」と息を浅くしていた。


まぁそれでも愉しく行程を終え、無事に我が家の前で車のドアをあけたらば、鼻腔をくすぐるあの匂い。地元じゅうが栗くさいという衝撃。


えー、うちってこんな匂いしてたのかー。

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秘めろ!

3歳児なめてた。


上の甥っ子が先日3歳の誕生日を迎えた。おしゃべりもいっちょまえにこなすし、サッカーのドリブルがやけに巧いし、日々成長しているなぁ…と感心する次第だ。

しかし、未だスプーンも使えないし、おむつも外れない。3歳ってまだそんなもん? とおもいつつも、親ではないわたしが手をだす範疇ではなかろう…と見守る姿勢を貫いていた。

まぁ、20歳まで手づかみ食べしてるひとも知らないしな!


そうおおらかな気持ちで甥に接していた今日この頃。3歳3ヶ月と称する幼児が、補助輪なしの自転車を乗り回しているところに遭遇。

嘘だぁ、このひと(甥)三輪車もうまく漕げないのよ!


ヒトは生まれてたった3年で玉なし自転車に乗れるのか…。
今までは、子供には無限の可能性があるという意見に対して、「そんなこといっても環境とかもあるやん?」なんておもっていた。でも違った。わたしたち身内が、彼の芽を根こそぎ引っこ抜いていたのだ。
 
でも、うちの甥が自転車に乗れるとは到底おもえない。

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ピッカリ史

懐中電灯は、とてもじゃないけどフトコロには入らない。そりゃまぁ、天井からぶら下がってる電灯よりかは入るけど。

その条件を満たしているのはペンライトなのに、どうしてあいつをそんな小粋な名で呼ばなくてはいけないのか。避難袋の点検をしながら、そんなことばかりを考えていた。

 

もしかして、昔は懐中に収まる大きさだったのだろうか。でも小型化軽量化がすきな日本人が、わざわざ大きくしたりするだろうか。工夫したのだろうか。蛍光灯とのダブル使いができるやつが我が家にもある。

そういえば、昔、父がダムに夜釣りをしに行く時はオデコにゴムバンドで電灯を装着していた。あれなら小さいから、真の懐中電灯といえるかもしれない。でもフトコロに仕舞う気は一切ないけどな! 父は今も使っているのか?

子供の頃は、近所の友達と毎晩9時に光の信号を送りあったり、サーチライトのように夜空を懐中電灯で照らしては、「宇宙が無限っていうのは嘘じゃねーの。宇宙なんてあるのか? もしかして外国とかも存在しないのかもな」とか考えていた。当時は福井県と和歌山県と鳥取県の範囲しか行ったことがなかったのだ。(しかも移動中は車酔いで寝てた)

あ! 中学校の技術の授業で懐中電灯を作った! あれはどこへやった? そっかぁ、捨てちゃったんだ…まぁそうだよね、わたしが作った懐中電灯なんて、わたしが一番信用できない。

 

ふとしたきっかけで溢れだす、わたしの懐中電灯メモリー。懐中電灯が懐中電灯以上の意味を持ったことなど今までなかったのに。

この世には、懐中電灯の数よりはるかに多い、懐中電灯にまつわる想い出がきっとかがやいている。

 

懐中電灯がすきですきで、いつも懐中電灯を鞄に入れていた知り合いがいたのだけれど、彼の想い出たるや他の追随を許さない数だろう。

下戸の彼は今でも、いい気分で呑んでいる酔っ払いの顔を照らしているのだろうか。

よそのテーブルのお客さんはやめろ。また殴られるから。

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