怪我の功名
今回の震災で、毎日のように誰かが「未曾有の」って言うけど、麻生さんが間違えなかったらこんなことにはならなかったのだろう、とおもう。
結果的に、国民に「未曾有」を体で叩き込んだ麻生さん。
だったらあの頃の大騒ぎはなんだったんだ…と申し訳ない気もしないではない。
時が流れ、また「未曾有」を間違える世代が現れたとき、それが真の復興と言えるのかもしれない。
そのひとが、わたしたちより年上であれば、そいつはとんだお寝坊さんだ。
今回の震災で、毎日のように誰かが「未曾有の」って言うけど、麻生さんが間違えなかったらこんなことにはならなかったのだろう、とおもう。
結果的に、国民に「未曾有」を体で叩き込んだ麻生さん。
だったらあの頃の大騒ぎはなんだったんだ…と申し訳ない気もしないではない。
時が流れ、また「未曾有」を間違える世代が現れたとき、それが真の復興と言えるのかもしれない。
そのひとが、わたしたちより年上であれば、そいつはとんだお寝坊さんだ。
体調を崩して、寝込んでいた。
そのあいだ、部屋に動くものが欲しかったので、友人に借りた韓国ドラマのDVDを流していた。
眺めながら、アジア圏といえど、紛れもなく外国だなぁ…と軽い衝撃を受ける。共通するところもあるだけに、却って差異にハッとするのだ。
ところで、わたしはまだ3作品ほどしか韓国ドラマを観ていないのだが、韓国における『おんぶ』の位置づけについて、今考えている。
というのも、そのすべての作品に『おんぶ』がでてくるのだ。たまたまか? 「ドロドロなドラマ以外。短めで」という条件で作品をセレクトしてもらっているからかもしれない。
酔いつぶれた人をおぶうくらいなら、わたしにだって経験はあるが、大人の賭けとか罰ゲームの対象が『おんぶ』というのは解せない。韓国の方は、背中をみせるのがお嫌いなのだろうか。
どちらかといえば、おんぶされるほうは罰ゲームな気はする。ちょっと間抜けな格好だし。でも弱くないか。
韓国ドラマ界のおんぶはすでに見尽くしたということならば、もうおもい煩う必要もないのだが、今後も続々とおんぶネタが繰り広げられるようなら、韓国の方の『おんぶ感』というものを突き詰める必要がある。
あるか?�
耳の穴の入り口が腫れる。
いつからか極端に疲れたり、体調が切羽詰まったりすると、耳の出来物が腫れ上がるようになってしまった。頭まで痛む。
今回は、先月から放っておいたものがにっちもさっちもいかなくなった。(自然に治るときもある)耳の穴も塞がってしまったので、諦めて病院へ行く。
小学生の頃からお世話になっているおじいちゃん先生は、症状を話している間は不機嫌な顔をしているが、患部をみると、途端にものすごく嬉しそうになる。
「おおー、腫れとんなー。自分で潰してきたらええねん。おれが潰すと金とられんぞ」
でも自分で潰すのは恐いですー。なんか固いし。みえへんし。
「そんなん、こうしてグリグリしてたらすぐや。あ、きたきた」
!!!(痛みで息が止まる)
「おー、みしたるわ。膿や。ドロドロや。ほれ。ほれ。でるなぁ」
!!!!(針金の綿棒突っ込みすぎ!)
「あ、血やな。あーあー。…あとは自分で押さえ」
膿のピークを過ぎたとたん、またつまらなそうな表情に戻る、おじいちゃん先生。
その瞬間を味わう度に、もっとすごい膿だせなくてごめん…としょんぼりしてしまう。
最近レディ・ガガの話題をよく耳にする。チャリティー関連で。
AndroidのCMの時(特に最初の)は、彼女のそのあまりのとりつくしまのなさに「あー、わたしスマートフォンなんて絶対無理だわ」とおっかながっていたものだった。
しかし、今になって悪かったなぁ…とおもう。
かといって、Androidにまで気をゆるしたのかといえば、それはノーだ。
甥っ子を追っかけまわして遊ぶ。
げらげら笑いながら逃げてゆく彼を、黙って追うだけというのもどうだろう…とおもい、なんらかの呼びかけをしながら駆ける。
「待て~」
すると、爆笑していた甥はビタッと立ち止まり、真顔で
「なに?」
と不機嫌なご様子。
いや、これはそういう意味じゃなくて…と説明したが、何回やってみても、甥にはよく解らないようだ。
予定調和とは年長者にのみ許される技。
しかし、追うフレーズNo.1『待て~』を封じられてしまうとなると、もう「わー」とかしか言えなくなるわたしは、かなり機転のきかない女だ。
節電のため、夜は狭い部屋で家族で集まって過ごしている。
うちはゲームといえば、昔からオセロか将棋かダイアモンドゲームか花札…という家だ。なので、納戸から立派な将棋盤をだしてきて、駒を山にして音をたてずに指一本で引き抜く遊び(タイトル不明)をしている。
薄暗い家でそんなことをしていると、よからぬアジトにいるようだ。
「ちょっと!今、カタッて鳴ったやろ!」
「あほか!お前が盤を押さえとんねん!」
わたしたちは、つまらないことで、すぐにいがみ合う。
我が家には、世界が賞賛したという日本人はいない。
CMが流れはじめましたよね。
AC広告機構の『こころは誰にもみえないけれど、こころ遣いはみえる…』というCMが流れると母がそのたびに怒るので困る。
「いやっ!あのオッサン、パクったんやわ!」
説教ずきの知り合いに言われたことがあるのだという。
パクリの真偽のほどは謎だが、たとえパクっていたとしてもいいではないか。ゆるしてはやれないのか。そんなメジャーどころから引っ張ってくるなんて、かなり骨太だ。
だいいち、頭に残っていて、つい、ということだってよくあるでしょう。
すごい頻度でCMが流れるので、「ほらっ、コレ!」と言われても、こちらもどんどん言葉がすくなくなる。
わたしはそんなことよりも、このタイミングでいち早く悠香のお茶石鹸のCMが放映されているのは、真矢みきからの強いメッセージが…!と胸を熱くしているのに。
生活用品が一気になくなってしまったので、買い足しにゆく。
トイレットペーパーとおむつだったのだが、出がけに買いだめ行動が問題になっているニュースをみたため、すごく緊張した。
うちにも今は本当にないんです!と叫びたい。
子供の頃。おおきな堤防が遊び場だったわたし達には、秘密基地があった。枯れた蔓がお城のように絡まっているところで、その一角にトイレを作って、1日じゅう帰らずに遊べるようにしていた。
そのトイレを利用する際、子供達はやわらかい早緑色の葉をちぎって、それをペーパーがわりに使っていたのだ。
そう。今だってきっと、そんなもんでいいんですよ!わたしみたいなもんは!そんな気もする。
夕方のスーパーは、特に何かが品切れになっているわけでもなく、全体的に品物はすくない印象だけれど、電池も水も商品棚に残っていた。
どこの誰が買い占めてるんだろう。とおもったら、おむつは全然なくて、おお!とおもう。
それで、甥(もうすぐ3歳)に
「今さ、みんな大変やからさ、真剣におトイレ行く練習しようか?」
と言ってみると、かぶせぎみで「無理っ」と断られる。
そうか。無理か。
テレビの衝撃的な映像に釘付けになるわたしと母に対して、父が
「そんなに気を揉んでも仕方ないやろう。淡々と生きるほかはないんやから、とりあえずは今までどおりにしててええねん」
そして気晴らしのために外にだされた。
それでお互い友人に会って、帰ってきたのだが、母が開口一番
「お母さん、ミステリーツアーに行ってくるわ!」
と宣言。
わたしたちの度肝を抜く。
いいけど…。普段全然そういうひとじゃないのに…。
『母親』の仮面を外した母は、一体どういう人間なのか。たまに知りたい時があるが、ちょっと恐い。
太平洋沖地震の被災地の皆様の不安ややりきれなさをおもうと、胸が痛みます。
1日でも早く、落ち着きますように…。
皆様の無事を祈って、なすすべなく、立ったり座ったりを繰り返していましたが、『インターネットで訊けばいい!』とおもいました。遅い。
『無事ですよ』とすでに更新されている方もいて、ほっとしています。ありがとう。
インターネットって儚いなぁ…とおもうことも多かったですが、頼もしいところもあるね。
不安な日が続きますが、わたしもできることでお役に立てればなとおもいます。
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