6つ子の魂死ぬまで
片付けをしていると、わたしの子供の頃の大量のノートがでてきたので処分することになった。
さすがに文集や絵は置いておくことになったが、かきかたノートやさんすうノートには、もうそこまでの懐かしさは感じない(親が)。しかし、ここまでとってあるのはすごいな!という量だった。
ちなみに妹のは、ほとんどない。すまんな、第二子よ。
文集をまた仕舞いこむ前に、ざっと目を通していたのだが、現在の癖が小学1年生の頃からまったくそのままで、笑ってしまった。
今でこそ、たまに文章を書いているけれど、わたしはどちらかというと絵を描くことのほうがすきだった。と、いうよりも感想文とか小論文が嫌いだ。
なので、もともと作文くらいしか書く経験がなく、こうしてインターネットでいろいろな方と交流しているのが不思議で面白い。(機械もだめだしな)
競作などをすると、作品を読んでくれた方が批評してくれたりする。もしくは、友人が感想をくれたりする。その時によくあるのが「ここでこの文章が入ると意味がよく解らない」というご指摘だ。
わたしもその都度、そうなんだよーと同意しつつも、だからといってどう変えていいのかが解らず、結局人前にださなくなることも多い。
『遠足に行ったこと』という作文があった。電車に乗り、遊園地に着き、あそんで、ばら園で友達とお昼をたべて、帰る、という起こったことを順番に書き連ねただけのつまらない作文だ。だが、ばら園で友達と話す描写の後、唐突に脈絡なく
“わたしは、もっと小さいときにここにきたことがあります。”
とだけ書かれていたことに、はっと胸を衝かれたのだ。
冒頭に書けばへんな作文にならないのに。(●●に遠足に行きました。…の後に)
でも、正確に書きたかったのだろう。ばら園で感じた「あッ、ここ来たことある!」という、ぱっと記憶がひらけてゆく感覚を、まるのまま表現したかったのだろう。来たことがある、という事実のほうではなくて。
ただ、そんな書き方じゃ、まったく伝わらへんけどな!
そういう衝動で、わたしは文章を書いているのだとはおもうが、もうすこし考えてやってもらわないと…。我のふりみて我がふりなおせ。
皆様、ご迷惑をお掛けしておりますが、今後ともご教示を賜りたく存じます。よろしくお願いいたします。
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