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鎮火

うちからすぐのところに、週に1回朝市がたつ。野菜が安くて、結構品もいいので楽しみにしている。

今週はそこでキャベツを1玉買ったのだが、冷蔵庫のなかにまだ4分の1残っていたのを見落としていた。あらら…とおもって、お昼ごはんにお好み焼きを拵えることにした。

お好み焼き専用粉もなかったし、長芋もなかったが、なんとなくのおもいつきで生地にすりおろした蓮根を混ぜてみた。すると、いつものよりおいしいと家族が褒め称えてくれた。甥っ子もかなりの量を平らげた。

これは…!鉄板焼業界に殴り込みをかけようや!
いや、まずは産地の奥さんに連絡やろ!
(朝の情報番組で、農作物や水産物の産地の方にレシピを習うコーナーがある)


色めき立つ娘ふたりを前に、母は

「あんたが適当に考えつくことなんて、誰もがやってみるやろ」

と、一蹴した。


しょんぼりだ。

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お砂場マン

甥を連れて公園へ行く。

いつも3、4ヶ所の公園をハシゴする。新興住宅地のなかにある公園は、遊具は新しいけれど砂場の砂が粗い。砂利も混じっているので、毎回砂場じゅうをぐるぐるして拾う。

割と古い公園は、大きい子供しか利用しないせいで、砂場の砂が固まってしまっている。(砂場内に)ところどころ雑草も生えている。しかし、細かいいい砂で、わたしは毎回30センチ四方を目安に掘り返すことに決めている。子供用のスコップではなかなか大変だ。

甥とお山を作ったり、型抜きをする合間に、わたしは誰に頼まれたわけでもない砂場の整備に勤しむ。


行け!お砂場マン!
拾え!お砂場マン!
掘れ!お砂場マン!

地域の子供達のために!


でもお砂場マンの任務は地味過ぎて、ただ砂場遊びに夢中のオトナげないオトナになっているんだ。

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対の言葉

マンションの最上階に住んでいる。

なのでエレベーターを利用する時、住人と乗り合わせた場合は、途中の階でその方を見送ることが殆どだ。

大概の住人の方は、にこやかに「お先です~」と言ってご自分の階で降りてゆく。

その際にいつも感じているのは、「お先です」に対する返事として正しいものはなにか?という問いだ。

「お先です」「はい」
「お先です」「お気をつけて」
「お先です」「お構いなく」

わたしは「さよなら~」とか「おやすみなさい」と言うのが常だが、「さよなら」というのは他人行儀か?さみしくさせてやいないか?という心配がある。

でも「ほな!」と言えるほどの間柄ではないのだ。現世で出会うひとは前世でも関係していたひと、という説も聞いたことはあるが、たとえ前世が親子でも現世でただのご近所さんなら、あまり馴れ馴れしくするわけにもいくまい。


スマートな返しを確認するためだけに、途中の階で降りてやろうかとおもうことがある。

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お父さんと女の子

父と一緒に甥を連れて、お祭りに行く。


わたしは7、8年前のある時期に、京都じゃないところからやって来た学生さんに

「地元のお祭りにはあって、こちらのお祭りにはない夜店ってある?」

と訊ねるのを楽しみにしていたことがあった。その時に聞いた『はしまき』という食べ物が、はじめてその名称で売られているのを発見。(5年ほど前から見かけてはいたが『おこのぼう』という名称だったのだ)

はしまき(おこのぼう)とは、割り箸にくるりとベタ焼きを巻き付けたものです。


父はわたしに、どんぐり飴を買ってやろかと言った。
子供の頃、食べてよかった夜店のものは、前田のベビーカステラとどんぐり飴で、特にわたしは飴にご執心だった。ビー玉っぽいところがすきなのだ。

しかし、どんぐり飴は喉に詰めると危ないと言って、金槌で割ってから与えられていたので、ちょっと意味がなかった。(飴はそんなにすきではない)

そういえば父とお祭りに来るなんて、20年以上ぶりだ。

「飴はいい。わたしもうおばちゃんやで」

そう言ったら異様にウケていた父を見て、おもった。


自分はオジンやんか。

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秋は別れの季節

新聞でさみしいニュースをみた。広島カープの戦力外通告の記事だ。

(話は逸れるが、戦力外って言い方はないだろう。なにかとマイルドな物言いになる昨今、もっと包んで!とおもう)

だいすきな青木勇人投手が通告されるなんて…。わたしには受け止められない事実だ。まだまだ観たいのに!

おもえば、あれは一目惚れだった。彼がマウンドに立つと試合がいぶし銀の渋いオーラに包まれた。球速のせいか、誰よりも重たい球に感じた。息をつめて見守った。念を送りながら(こわい)。
一軍登録されている時期の試合は録画して何度も観た。36番のユニフォームを着て球場に行った。そばで見たお顔は目が鋭くてちょっと怖かった。

もうあの沸き立つ気持ちを味わえないなんて。

引退されると知り、あまりにもショックで涙した。周りが爆笑するくらい、おんおんと。

こんなに現実が嫌すぎて泣いたのは、98年の天皇賞以来だ。(あの時は日が暮れるまで川で泣いた)わたしはあれ以来競馬を観ない。

素直にお疲れさまでしたとは言えない。でも、たのしませてくださってありがとうございます。

くそぅ、今夜は呑んでやる…。

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負の遺産

自分のからだで一番すきなところは?と訊かれたら、「腕」と答える用意はできていたのだ。

からだ全体をみると、わたしはどうにも下半身が太い。いくらやせても太い。赤ん坊の頃から太いらしいし、父も割とそうなので(骨格がそっくり)それはもう諦めているのだが、腕の方はすんなりとしていて、ちょっとしたお気に入りだったのだ。

しかし、どうだろう。日焼け対策はそれなりにしていたものの、じりじりと灼けてしまってほくろが増えてきた。なんで小麦色にならずにほくろが増える?一点に集中するんじゃない、メラニンたちよ。

その上、10日ほど前にもうひとり甥が生まれたのだが(妹の第二子)、すっかり甘えたで気難しくなってしまった甥(2歳5ヶ月)を毎日抑えたり、抱いたりしているために、二の腕がどんどんがっしりしてゆく。

 

いやだぁ、こんなのわたしの腕じゃない!

 

すでにたっぷり1ヵ月は一緒に暮らしている妹一家が帰ったからといって、この逞しい二の腕は夢のように消えてなくなったりはしないだろう。だいたい、どうせまたすぐ滞在しに来るに決まっている。

これまでの人生で一度も「タキガワさんのチャームポイントは腕だね!」なんて言われることもないまま、わたしの素敵なパーツは終わりを迎えた。

いいじゃないか。せめて自分の心を満たしてくれていたんだから。

ありがとう。ありがとう、在りし日の二の腕よ。

頬を流れる熱い涙を、秋風がひいやりとなぶる。

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水溶性

 おはよう。母です。

 僕の枕元に座っていた女のひとは、確かにそう言った。近くの神社へお参りに行った翌日のことだ。

 御神水に浸すと溶けるという紙の願い符を、父は嬉しそうに2枚買った。でも、ふざけて僕の願い事を覗こうとするので、丸めてポケットへ突っこんだままになっていた。

 女のひとは、毎朝おはようを口にすると、あとは部屋の隅でぼうっとしている。たまに僕を観察しているみたいだ。

 おかあさんという存在は初めてなんだけれど、少し違う気がする。けれど色白だし、おばさんぽくないから悪くないのかもしれない。

 案外、頼めば色々としてくれるのかもな。そう考えて、僕はお風呂上がりに母の前に座った。ねぇ、髪の毛乾かしてよ。

 母は軽く首を傾げたあと、ふーっと息を吹きかけた。

 雑すぎるよ、と僕が怒って頭を振ると、水滴が激しく散った。攻撃をあびた母の全身に、みるみるうちに水玉模様のしみがひろがってゆく。

 溶け残った母も、僕の掌の汗で消えた。

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