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Sのフック

クローゼットに掛けるS字フックを買おうとおもい、外出のついでに100円均一の雑貨屋さんに行った。

ところがそのお店においているS字フックは、見知らぬキャラクターが中央に配してあり、どうせ仕舞い込むものであってもわたしの美意識に反していた。

「この一種類ですか?」

と、店員さんに確認しつつ、あたりを見回すと、まさにわたしが求めているような普通のS字フックがあちらこちらに掛かっている。無数の理想たちが商品を掛け、がしがしと棚からぶら下がっている。

何故売らない。

こんなにS字フックに囲まれていても、わたしの手に入るのはこの奇妙なフック一点のみ。触れられる距離にあのひとはいるのに、なのにわたしの人生からは一番遠い場所にいる。わたしは無力だ。

わたしは、キャラクター付きのS字フックをしみじみと眺めた。きみは誰だ。でも、そんな彼すら愛せる日が来るのかもしれない。それが人間の、オトナの生きる道なのかもしれない。

諦めのなかで、人は老い死んでゆくのか?それが人生なのか?

これも悪くなかったな。最終的にそうおもえるのなら、それが仕合せ?

解らない。

わたしに解るのは、今も昔も100円均一のデザインは、油断するとファンシーへ向かう、ということのみだ。

 

 

 

結論。

もうちょっと探してみます。

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脱皮

久し振りに鰻の蒲焼をたべる。

勿論、土用の丑の日だったからなのだが、事情により、かつての好物の鰻をわたしは長いあいだ口にできずにいたのだ。

今回の土用で、わたしはごく自然な気持ちで鰻を受け入れることができた。もうそんな日は来ないようにおもっていたのに。

わたしが心の傷を克服した記念の日に、あの忌まわしいメモリーをどうか聞いてください。

 

あれは3年近く前。とある観光地を訪れたわたしは、お昼ごはんに一軒の蕎麦屋に入った。蕎麦と小丼のセットを注文し、丼の種類を鰻丼に指定。うきうきと出来上がりを待っていた。

しかし。神の悪戯か、鰻にかかっていたタレがあろうことかウスターソースだったのだ。

ひとくち目で「ぐっ…」となり、一応同行者に味を確かめてもらったが、それは明らかにソース。幸か不幸かツユだく。

取り替えてもらおうか、という話にもなったが、店を切り盛りするのは老夫婦で、わたしがそんなことを言おうもんなら、すでに独り立ちして都会にでている息子さんから引退を示唆されることになるかもしれない。(想像)

それよりも、ここはそういう地方なのかもしれない。ああ、そっちの方がショックかも。危うし、醤油大国ニッポン!

「いけるとこまで、たべるわ」

スパイシーな香り漂う丼を前に、わたしはそう宣言し、そしていけるとこまでいった。その結果、鰻もソースのしみたご飯も、見る度に「おえっ」となるようになった。

 

もしかすると、あんなに不味く感じていたのは、単純に、あらかじめ予想していた調味料とは違う…という驚きによるものだったのかもしれない。

昔、ファストフード店で友人とお喋りに興じていて、うっかり飲みものを取り違えて飲んでしまい、ぶぅと吹いたことがわたしはある。(わたしは烏龍茶、友人はコーラだった)

咄嗟のことにわたしが著しく弱いのか、ソース鰻丼が驚異的な味をしていたのか。改めて確認しておきたい気持ちはあるが、数年間に亘って負うダメージのことをおもうと、そこまでする事柄でもないようにおもう。

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私設シアター

リフォーム中。
 
家の中なのに、まるで外にいるような現場感が漂うタキガワ家からお送りします。

本もパソコンもすべて箱にしまっているため、娯楽といえばテレビだけだ。しかも、それもあと数日の命。

生まれてはじめて携帯電話を持っていてよかったとおもう。

わたしはあまり興味がないのだが、家族がサッカーのワールドカップを観るので、一緒になって眺めている。

シートに覆われた荷物と荷物の1メートルほどの隙間で、雛壇を作って縦一列で家族3人、サッカーを観戦する。エアコンもなく、壁や床のコンクリートや木材がむきだしで、潜伏しているとしかおもえない。

幼い頃、今よりも1000倍ほど夢見がちだったわたしは、倉庫のような隠れ家で暮らす空想ばかりしていた。
時を経て、その夢がようやくカタチに!

本気で希った夢は実現するのだ。でもそれは本当にどうでもよくなってからなのだ。
その辺のタイミングは無視なのね。そこが一番重要事項なのに。

宇宙のレコードは、なかなかどうして、油断ならない。

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