黒いセオリー
テレビで観るバンド(音楽)のひと達は、グループのなかにひとりだけ毛色の違うひとがいる率が妙に高いようにおもうのだけれど、あれは敏腕プロデューサーの思惑なのだろうか。
近所の若い世代のママさんたちと顔見知りになってきた。
若い世代といってもわたしと同じ年齢くらいの方も多いのだが、甥っ子を連れて公園で遊んでいるうちに、徐々に親しくなったのだ。雨が降らない限り、ほぼ一日じゅう外にいるひとばかりなので、まったく何もないほうが不思議なのだ。
ママさん達をまとめているボスっぽい方(2人いらっしゃる)には挨拶程度なのだが、群れにはぐれた感じのママさん達がいらっしゃって、その方達とは会えば結構お話しする。
みなさん、さすがに地に足がついていらっしゃる…というか、あまりにもオトナで憧れるばかりだ。家とか買えないもんな、わたし。たとえ旦那さんがいたとしても「家買いましょうよ!」とか言えないもんな。(2、3年に一度くらいしか積極性を発揮しない)
そんなわけで、どちらかといえばコドモ組のわたしは、これまた顔見知りの子供たちと鉄棒をしたりすべり台をしたり、ぶらんこを漕いだりしている。
子供たちに言われるがままに遊びに付き合うわたしをみて、付き添いのママさん達はちょっと驚いた表情で
「え、ママもすべり台するの? すごいね~、元気ー」
と微笑まれる。
そうか。おかあさんは一緒に遊んだりしないのか。わたしも驚くが、今更遊ばないなんて出来ないよな。
第一、おかあさんじゃないのだ。
わたしの住む町の、この時季の夕焼けは真紅で、夕方になると空気ごと透明なばら色に染めてゆく。世界が、手洗い用の消毒液で溺れているみたいだとおもう。
我が家のテレビはブラウン管の分厚い箱で、ことあるごとに放送で流れる「地デジのお知らせ」にもびくともせず、買い替えの予定もない。
最近の仙人生活(リフォームの片付けでモノを捨てる)で、テレビがなくてもいいよな的な風潮が、タキガワ家のあいだで吹き荒れているせいでもある。
まぁ、そのうち何とかするだろう(誰かが)、と家族のみんながみんなおもっているのが、地デジカには申し訳ない。レオタード着て頑張っているのにね。
ただ、今うちは物入りなので、テレビが後回しになるのは致し方ない。リフォームの結果使えなくなる電化製品が結構あるのだ。旧式すぎて。
とうとう両親が重い腰を上げ、リビングとダイニングの照明と、リビングのエアコンを買い換えるというので家電屋さんに行って来た。(うちのエアコンは、徳永英明氏がCMをしていた時代のエオリアだ)
そのお店で、何かとうわさの3Dテレビをみた。
みんなへんな眼鏡をかけて、ゴルフの石川遼選手のショットをみて、「砂が飛んでくる~」とか言って騒いでいるやつだ!
母もその様子をテレビで観た時に羨ましそうにしていたので、急いで呼んできて、ふたりでかわりばんこに3D眼鏡を覗く。
おお! …おお! お?
期待値が高すぎたのだろうか、それとも、テレビで流れていたのがスポーツでなく、ファッションショーだったのが原因だったのだろうか。
自動で繰り広げられる、とびだす絵本みたいだった。
よく考えなくても、あくまで四角い画面の範囲内で前にでてくる、ということなのだから、そらそうだろう、と納得しなおす。ほんとに砂かぶっちゃったら、石川遼は言葉通りのテレビの住人であるか、お店のひとが砂をぶっかけている。
そうだよ、そうだよ。と繰り返しながらも、便利とかハイテクに尻込みしてしまうタイプのわたしは安堵する。
枇杷のことを、みなさんはどの程度考えてくださっているのでしょうか。
わたしは枇杷がすきだ。この時季、よそのお宅の庭先で枇杷がたわわに実っているのをみかけるたび、落ちてこねーかなぁ…と本気で念力を送りそうになる。
世の中に果物はたくさんあれど、枇杷は一向に品種改良されないのはなぜだろう。
苺なんて、どんどん甘く大きくなっているのに、枇杷はそんなに変わってない。ビニールハウスも(きっとそんなに)ない。
品種改良界のエアポケット、枇杷。人間の欲望を寄せ付けない、その涼やかな存在よ。
しかし、そんな聖なる枇杷にわたしは希望したい。もうちょっとお肥りになってもいいんじゃございません? と。
もちろん、野菜や果物は旬に食すのが一番だとおもう。栄養や風味のこともあるが、なによりもそうした方が、一年を生きるのが愉しい。日々や季節に張り合いがでるというか。
でも、しゃっ、とうすく齧ったら、もうそこが種なんだよな。枇杷って。
しかも種を包む薄皮が、舌の上で、もじょっと若干渋く拡がることがあって、そうするとただでさえ少ない可食部をこそげるようにして食べなくてはいけない。
網目のついたメロンよりもマンゴーよりも、真に高級な果物は枇杷だ。
願わくば。
そんな風になった枇杷に、変わらない魅力があるかどうかは別にして、一度でいいから桃みたいに枇杷を頬張ってみたい。
わたしの部屋の隅には2メートルほどのカーテンレールがある。もともとは居間の大きな窓に設置されていたものが、ロールカーテンの導入により取り外され、暫定的にわたしの部屋に置かれているのだ。以来20年間そのままにされている。
昔から事あるごとに、次のゴミの日に捨てないとねー、と家族で話してはいたのだが、ある日うちにやってきた近所の(当時)小学校1年生の男の子達の格好の遊び道具となってしまい、捨てる潮を見失ってしまったのだ。ブームはしばらく続いた。毎日のように、誰かがカーテンレールで遊んでいた。誰やねん、という子供もなかにはいた。
カーテンレールには、カーテンを引っ掛ける可動式の輪がついている。その部品をロープウェイや電車に見立てて、傾けて遊ぶ。
わたしはすでに小学校の高学年だったせいか、たまに付き合ってもその面白さはあまりよく解らなかった。
そして、時は過ぎ、甥っ子が生まれ、彼がなんだか人間らしくなってきたあたりで、そのカーテンレールをみせてやったのだ。
目を輝かせて喜ぶ甥。
夢中で遊ぶ姿をみて、4月の2歳のお誕生日には両家から大掛かりなプラレールセットが贈られたのだが、それはそれとして相変わらずカーテンレールを「シャーッ」と操っている。
あまりにもやりすぎて、甥のいないときにも「シャー、シャーッ」という幻聴がするくらいだ。
このたびのリフォームで、甥に捨ててもいいかとお伺いをたててみたが、にべもなく断られた。どうすんだ。
昭和の子供も平成の子供もカーテンレールがだいすき。
お土産に、“黒豆せんべい”というものをいただく。
黒豆もせんべいも、だいすきだ。うきうきして封を切ると、なかから黒豆のついた焼き菓子が現れた。
食べてみるとさくさくして、黒豆も香ばしく、とてもおいしかったのだが、釈然としない気持ちがどこかに残された。
これ…せんべいじゃない…
どちらかというと、いや、これは堂々たるサブレだ。
せんべいの定義もサブレの定義も曖昧なわたしではあるが、目を瞑って口に含んだひとの8割が「サブレでしょ」って言うとおもう。そういう仕上がりになっていた。(ちなみに残りの2割はクッキーって言うね)
世の中には、落花生のいっぱい入ったあまいせんべい(だいすき)も売られているが、あれよりもかなり洋菓子方向の味に振り切ったこの“黒豆せんべい”。見た目も細長く、ふっくらとしていてウェーブが入っており、せめてせんべいはまるくてひらべったい、というわたしの固定観念も覆してくれる。
何故せんべい? 和訳か? それとも、ご年配の方が色を5色ほどで表現するような感じで捉えればいいのだろうか。(ex.緑は青と呼び、オレンジは赤と呼ぶ)
気になる。会議で誰も「これってサブレですよね?」と発言しなかったのだろうか。
雨が降った。昨日も降った。おとといも、その前も降った。
今朝、食事を摂りに台所へ向かうと、テーブルの上に父と兄のお茶碗がでていなかった。
フライパンに蓋をしながら、母が庭のほうを顎でさす。すでに葉ばかりになったツツジの茂みとおなじくらいの大きさの銀の繭がふたつ、転がっている。
ゆうべ寝入りばなに私が耳にした、サキサキサキという音は鋏だったのだ。
落下途中の雨の糸を長めに切りおとして紡いだ寝袋は、ひいやりとやわらかで、真夏の太陽でとことん蒸発されるまで破れない。
彼らはさっさと、こもってしまったのだ。堪え性がないくせに、毎年この時季だけは素早いひと達だ。
いつもより焦げ付いためだまやきをがりがりと剥がしながら、母が唇をゆがめて笑う。
冷夏ならいいわね。風邪ひいちゃえばいいのよ。
とうとう我が家がリフォームされることになり、収納が減ってしまうことになった。
なのでこの1ヵ月ほど、母とわたしは連日連夜片付けに追われているのだが、捨てても捨ててもまだ整理が終わらないのはどうしてか。うちの名誉のために言えば、我が家はまあまあモノの少ない家と言ってもらうことも多かったし、母もわたしもまめに片付けるほうだとおもう。なのに、この体たらく。
ゴミ屋敷の映像をテレビで紹介されるたび、
「なんでそんなことに?」
と、吃驚していたのだが、今なら解るね。うかうかしてるとモノは溜まる。おもう以上に気を引き締めて!
そしてその片付けの波は、おもいで部門にまでも及んでしまった。ちなみにおもいで部門とは、わたしがこれまでの人生で頂いた手紙や葉書のほぼすべてのことを指す。
わたしは手紙を書くことがすきで、なんなら今でもメールではなく手紙でコミュニケーションをとりたいくらいだ。でも、みなさん今更手紙なんてまどろっこしいとお考えでしょ?
積極的に手紙を書かなくなって数年経つものの、それでもこちとら携帯電話なんてなかった時代に学生をやっていた身(ポケベルでギリギリ)。毎日誰かに手紙を貰っていた。おとなになってからも、わたしは携帯電話をなかなか持たなかったので、心優しい友人達は、みんな手紙をくれていたのだ。
ほんとうに、その節はすみません…。
おもいで部門は、普段開けてみることなどそうそうないので、じっくり中身を確認したのも久し振りだ。(片付けろー)
ところが今になって、恐るべき自分が露呈した。
社交下手に定評のあるこのわたしが、ものすごくアクティブに色々な方々と文通していたのだ。共に働くひと達は勿論、働いている向かいのお店のひと達とか、すでに辞めた仕事の新人さんとか(働く時期はかぶっていない)、友達の友達とか。
現在ではありえない。
若さゆえの勇み足だろうか。ご迷惑かけていませんでしたでしょうか。でも、手紙が絡んだわたしならやるだろう、という気もする。
手紙は魔性だ。
こうなったらペンパルでも募ってみようか。今あるのかなぁ。雑誌の文通コーナー。
結構前に、プチトマトの苗が安売りされていたものだから、3本買ってベランダのプランターに植えてみたのだ。
当初はひょろりと細かったプチトマトの苗も、日に日に濃い緑の葉をもさもさと繁らせ、なにがなんだかな茂みのよそおいで絡まりあっている。
観葉植物などにはいつも手を掛けすぎて腐らせてしまっていたため、今回のプチトマトは、栄養として米のとぎ汁を与えるほかは、剪定も肥料も一切なしの放任を決め込んでいた。なんとしてでも収穫に持ち込んでやる、という決意のあらわれだ。けれど、ある日トマトはみんなで仲良く倒れてしまっていた。
ああ、支柱がいるんだっけか。
その時にようやくおもい至って、支柱を買いに走ったくらいのお寝坊さんなわたしだ。なにしろ、プチトマトと暮らすにあたっての生育方針は「甘いトマトは極限まで水を控えて育てる」という海原雄山(美味しんぼ)の教えのみ。ああ、それじゃあわたしがやることってそんなにないねー、という解釈のもとに接してきたのだ。
ところが一度地を這ったプチトマトは、以来へなへなと葉っぱの張りをなくして、完全に支柱にすべてを任せて寄りかかっている。
「おい、がんばれ!プチトマト達よ!」
わたしは励ました。
米のとぎ汁を増量したり、さすがに葉っぱや茎を省いてやったり、ハミングで威風堂々を聴かせてやったり、茨木のり子の詩を読んでやったりした。
傍らに雄山先生がいない以上、プチトマトには自分の力で立ち上がってもらうほかに方法はない。(雄山先生は農のひとではないんだけども)
なにかが功を奏したか。それとも、こいつじゃだめだと、わたしに見切りをつけたのか。徐々にプチトマトは元気を取り戻し、きゅっとかたく膨れた青い実を、いくつもつけた。
やるなぁ、プチトマト。そしてちょっとだけわたし!
ゴールまで気を抜くな!
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