愛をこめて
本を読んでいて、“with love”という言葉を、作中で当然のように『愛をこめて』と訳していたことに、はっ、そうだそうだ!とおもう。
お手紙や贈りものに、自分なりの気遣いを込めることはあっても、愛とまで呼べるような熱い感情を込めることがなかったことに、はっ、ときたわけではない。だいたい、青春真っ最中にもそんなパッションはなかったし。
そうではなくて、愛は「こめる」んだった、とおもいだしたのだ。
わたしの貧困な英語力だと、“with”には、一緒に、というあくまで個と個の寄り添うイメージしか湧かないのだが、一旦『こめる』という日本語に訳されてしまうと、共に差しだした愛は一気に練りこまれ、融合して、もう二度と離れないかのような強力さを持つ。
場合によっては
「…ほんとに愛以外のもんは混ぜてねぇだろうな…」
とか、問い詰めたくなることもあるかもしれない。
わたしの感覚では『愛を添えて』くらいでお願いしたいのだが、そんな気まぐれシェフの付け合わせのような戯言では、外国の方には愛の存在さえ認めてもらえないだろう。
あー、肉でも食べようか。
最近のコメント