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愛をこめて

本を読んでいて、“with love”という言葉を、作中で当然のように『愛をこめて』と訳していたことに、はっ、そうだそうだ!とおもう。

お手紙や贈りものに、自分なりの気遣いを込めることはあっても、愛とまで呼べるような熱い感情を込めることがなかったことに、はっ、ときたわけではない。だいたい、青春真っ最中にもそんなパッションはなかったし。

そうではなくて、愛は「こめる」んだった、とおもいだしたのだ。

わたしの貧困な英語力だと、“with”には、一緒に、というあくまで個と個の寄り添うイメージしか湧かないのだが、一旦『こめる』という日本語に訳されてしまうと、共に差しだした愛は一気に練りこまれ、融合して、もう二度と離れないかのような強力さを持つ。

場合によっては

「…ほんとに愛以外のもんは混ぜてねぇだろうな…」

とか、問い詰めたくなることもあるかもしれない。

わたしの感覚では『愛を添えて』くらいでお願いしたいのだが、そんな気まぐれシェフの付け合わせのような戯言では、外国の方には愛の存在さえ認めてもらえないだろう。

 

あー、肉でも食べようか。

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印象

ひょーたんさんのところで「豆本がちゃぽん」について、あれこれ眺めていた。“がちゃぽん”という呼び名はどうにもこうにも可愛らしいなぁ…とぼんやりおもう。

わたしの住む関西地方では“ガチャガチャ”と呼んでいる。東京方面のひとによく言われてしまう関西人のガサツさが、そのまま表れているような名称ではないか。

“がちゃぽん”が、機械に100円入れると「ぽろん」とカプセルがでてきそうなのに対して、“ガチャガチャ”は、カプセルがでてもなお、レバーを捻って、機械をガッタンガッタンいわせてそうなイメージ…とでもいおうか。

“がちゃぽん”を利用するお子さんは、その場でカプセルを踏み割ったりしないだろう。その様子をクラスの女子に見咎められて、先生にチクられたりなんかも、きっとしない。

 

 

全然関係ないのだが、『松阪牛』はいつから『まつさかうし』と呼ぶようになったの?ギューじゃないのか、ギュー。

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ハイテク機器

わたしの部屋に置いてあるストーブは、20年以上使用している電熱式のもので、ドラムカンという名前がついている(商品名)。

ハロゲンヒーターに似ていないこともないが、どちらかというとオーブントースターの方に近い。バネのようになった熱源が赤く灯るやつだ。

 

家に帰ると、とうとうドラムカンがお役目を終え、加湿付き・ナノイー付きのとにかくすごい暖房機に代変わりしていた。

買ってきてくれた両親が今か今かと作動をたのしみにしているので、早速つけてみた。なんだかそこはかとなくいいような気がする。プラッチック臭がすごいけど。

わたしは居間でビデオを観たかったのだが、両親がもっと使え!と勧めるので、そのまま自室で本を読むことにした。

ドラムカンには悪いが、新人はほんわりとしたぬくもりでわたしを包んでくれる。母鳥に抱きとめられたように、やすらかな眠りが降りてくる。

くぅくぅとうたた寝をしてしまい、目を覚ますと1時間ほどが経過していた。もうそろそろ、両親も納得してくれるだろう。居間へ向かおうと、からだを起こした。

 

!!!!!

 

窓の結露が、滝!

 

今朝拭き取った結露が、滝状の噴水のようにとめどなく流れ落ちている。本棚の文庫本はもれなく波打ち、化粧鏡も充分にくもって、水森亜土の落書きを待っているかのようだ。

 

わたしは加湿の設定を「おまかせモード」にしていたのに。おまかせって言ったじゃん、アンタがおまかせって言ったんじゃん…!

 

機械関係のことでは特に、骨身に沁みて感じているが、わたしは絶対この時代にマッチしていない。だって、弄ばれてるもの…!

明日にでも、ナノの湿気で溺れているかもしれない。

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ハツユメ

パジャマからパジャマへ着替えるお正月

 

元旦に、あら?喉が痛いわ?!と自覚してから、顔面以外のすべてのパーツが痛みだし、あれよあれよというまに熱発。そういうわけで、ひとりベッドでのたうちまわるお正月となりました。

今はすっきりと平生の状態に戻り、晩ごはんに粕汁を炊きました。

 

 

高熱に浮かされながら、いくつもいくつも夢をみた。しかしおなじ内容が繰り返されていて、それは“人間が知覚する総ての色彩は、茶色で説明がつく”というものだった。

説明って、何の?

自分でも見当がつかないものの、世界中のひとにその証明を迫られ、仕方がないので発熱した頭を抱えてうんうん考えた。

わたしがやらなければならない領域ではない気がしたが、断れる雰囲気ではなかったのだ。

最後は、解った!という気持ちになったことは憶えているのだが、その証明はひとかけらも残っていない。

けれども、茶色で説明することは難しいんじゃないかとおもう。

 

なんだかもう一度切りなおしたいスタートではあるが、そうか、行くのか。容赦ないなぁ。

 

今年もたまに、遊びにきてくださいね。

 

 

 

 

 

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