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マルチ

年末の買いものにでかけた。帰りに本屋さんに寄り、何を買うわけでもなくうろうろしていたとき、突如、ひとつの閃きがわたしを打った。

わたしは、「ねじめ正一」と「なぎら健壱」を混同している。

なぎら健壱はちゃんとなぎら健壱だったのだが、ねじめ正一の本の背表紙などをみたときに、わたしは、確実に、なぎら健壱のことを考えていた。

もしかしたら、あなたもそうなんじゃないですか?

 

たったそれだけのことに気がついただけで、なんだか人生が拓けた気がする。ええ、大丈夫。気がしただけですから。

 

今年もいろいろとありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

どうぞ皆様、よいお年を!

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たまご

たまごがすきだ。

カタチもカラーリングも完璧としか言いようがない。しかもおいしい。栄養もある。その上、お手ごろ価格の庶民の味方。アレルギーの方には申し訳ないが、わたしはたまごがすきだ。

昔から、我が家でたまご料理をつくるのは、大抵わたしだ。母はたまごを揚げものの衣につかうくらいなのだが、稀にたまごのおかずを調理してくれることもある。

しかし。

なぜか、その3ヶ月に1回くらいの母のたまご料理には、必ずたまごの殻がはいっているのだった(わたしの皿にのみ)。子供の頃からずっとだ。お弁当のおかずであっても、お構いなしだ。

必ず、は言い過ぎなんじゃないのとおもわれるかもしれないが、もうこれは100%の確率なのだ。しかも、わたしがどんなに警戒していても、ひとくち食べたお口の中がすでにポリポリいっている。

ああ!まただよー!

 

いいのだ。殻がはいっていたって、ほんとはちょっとしか嫌じゃないのだ。(嫌は嫌だよ)

ただ、わたしが問いたいのは、タキガワ家の親族全員集めたって、わたしが誰よりもたまごをあいしているのに、どうしてそのわたしにそんな仕打ちが出来るのか?たまごさんよ!ということなのだ。

まだ愛が足りないというのか? その愛の深さゆえに、高校の書道の授業の篆刻では、迷いなく『卵』と彫った、このわたしの気持ちにまだ不足があるというのか。

その『卵』の篆刻作品は、文化祭会場となった市民ホールで、ちゃんとご父兄に向けて展示されたんだよ…!

 

もしかすると、たまごはわたしの骨粗鬆症を案じてくれているのかもしれない。もしそうならば、言い過ぎてしまって失礼をした。

けれどもできることなら、枕元に牛乳を置くとか、いつの間にか窓辺に小魚が干されていたとか、さり気ないカルシウムへのアプローチも考えてみてはくれないだろうか。

 

 

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ヤマトを探して三千里

クルマずきな甥っ子に、ミニカーを買ってあげたいとおもったのだ。

甥は自動車がすきらしく、大通りにでると何十分でも車をみている。うちに入るとすぐに車の絵本やミニカーで遊び、自動車のCMが流れると踊る。

そのなかでも特にすきなのがクロネコヤマトの車で、公園で遊んでいてもヤマトをみつけるやいなや、甥を抱えて追いかけなければいけない。そして、ドライバーさんが帰って来るまでクロネコカーを鑑賞するのだ。

クロネコヤマトを買ってしまったら最期、甥は「たーとぅんとぅー!たーとぅんとぅー!(宅急便、と言っています)」と日夜叫び続けるだろう。

それでも買ってやりたいのよ!だって、あいつ基本的に大人しくて、クルマずき以外に男の子らしいところがないんだもん!別にいいけどさー。

 

そういうわけで、ここ何ヶ月かは、おもちゃ屋さんを通りがかるたびにトミカの棚をみていたのだが、日通や佐川はあれどクロネコはなかった。何故だ。

品切れか。鋭意作成中か。それとも、クロネコは軽々しく子供に与えるものではないのか。

 

泣きそうにしょんぼりして、仕方なくとりあえずのミニカーを買う。

救急車だとおもったそれは、家に帰ってよくみると、警察の護送車だった。

 

なんなんだよ!そのラインナップ!!

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オットコ前

寒さのせいか、それともここ1ヶ月ほど、法事やら何やらでただならぬ雰囲気の生活をさせていたからだろうか。

そろそろ1歳8ヶ月になろうかという甥が、便秘になった。

 

母であるわたしの妹と共に、腹をマッサージしてやったり、法事の合間に公園へ行ったり、下剤をやったり、いろいろいろいろ手を尽くしたが、でる気配はまったくなく、とうとう甥っ子が不快感に泣き始めた。

いきむとかなり痛むらしく、ひくひく言いながら涙を流す。おとなたちが挙って何とかしてやろうと近付くと何故か嫌がって、追い払われる。

 

何なんだ!

わたしたちが何年生きてきたとおもっているのだ!この若輩者が!

 

長年培ったノウハウで何とかしてやろうとしているおとなたちを遠ざけて、甥は寒い和室の柱に寄りかかって、ひとり憔悴しきっている。

弱冠1歳にして誰にも頼ろうとしないなんて、何て自立心旺盛な幼児か。見習いたい。でも、それだけでは問題は解決しないんだよ。適材適所って、まだ聞いたことないか。世の中っていうのは、みんながちょっとづつ力を持ち寄って生きているんだよ。

さあ、その身を委ねて!

 

宥めに宥めて、甥を暖かい部屋に連れてゆく。

まだぐずりながらも、おとなたちにされるがままに寝転がされながら、甥がテレビを指差した。

「ねえね」

カネボウ・コフレドールのCMにでている柴咲コウをわたしだと言ったのだ!

 

これはいかん、だいぶヤバイぞ!という、わたし以外のおとなの判断により、甥にはイチジクが直ちに処方された。

 

  

ちなみに、柴咲コウとわたしは、性別以外に似ているところはありません。

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はてさてアンテナ

髪が抜ける。

シャンプーの度にごっそりと抜け、何かしらの作業の時にも、はらりと落ちる。

 

母に訊くと、抜け替わりの季節だから…と言っていたが、毎年こんなに抜けていただろうか。

 

多少は心配なものの、もともとの毛量がものすごく多いため、人並みくらいになれるチャンスかもしれない。世間的に、髪をすくというカット法がまだまだ甘かった時代には、すこし伸びただけで連獅子をおもわせるボリューム感になっていたし、お下げを結えば荒縄をぶらつかせているようだった。

まあ、いざというときにはイブマイン(ぱちっと付ける部分かつら)もあるし、気に病むな!わたし!

 

中学生の頃。

学習塾で、数学の問題を解いていると、難しい問題のところで必ず講師が「おう、どうした~?」と声を掛けにきてくれた。

そのタイミングがいつも、こんがらがった思考が袋小路にはいる寸前だったので、不思議におもったわたしはある日先生に訊いてみた。

すると、先生は「タキガワが何やややこしいこと考えてる時って、頭の毛が立つねん」と答えた。

ゲゲゲの鬼太郎さながらに(頭から針をだす攻撃)、頭頂部のあほ毛(切れ毛や新毛などの短い髪)がどんどん逆立ってくるらしいのだ。

「自分、髪の毛も全体的に膨らんでくるしな。髪の毛短くしたら、おもろいんちゃう?」

 

みんなもそうなんだろうか。

 

わたしのヘアスタイルの強敵は、湿気でもくせっ毛でもなく、数学の問題。雨の日でも寝癖でもなく、数学の問題。

わたしがお洒落して歩いている日は、多分勝負の日です。数学の問題を強要するのはご遠慮ください。

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いいひと

家をでるときにばたばたしていて、買い置きしているカイロを貼ってくるのを忘れてしまった。

どうしようかなぁ…。いつもなら鞄に2つは予備をいれているのだが、小さい鞄だったのでそれもなかった。

仕方なくコンビニへ寄り、貼るカイロをひとつ購入する。するとレジの大学生と思しき男のひとが「開けますか?」と言ってくれた。

あ!お願いします。

わたしが小銭をだしていると、レジのひとは重ねて「(剥離紙を)めくりますか?」と訊いてくれた。

え?え~と。

わたしが一瞬迷ってるうちに、彼はぺりぺりっとシール部分の剥離紙をはがした。

 

「……貼りましょ」「いいです」

 

コンビニもえらくサービスしてくれるものだ。貼って!貼って!と言ってわたしが背中をだしたら、引かずに彼は貼ってくれたのだろうか。

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