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愛情の行方

以前、毛玉と名付けたアメショがいたお店に、今はベンガルという種類の猫がいる。

生後半年近く経っているので、仔猫とは呼べないような大きさなのだが、彼は初対面のときから、わたしの顔をみるとガラスをカリカリしたり、すりすりしたり、なんとも愛らしい姿でアピールしてくる。

もしかして、うちのこになりたいのかい?

でもうちはマンションなんだよね、と切ない気持ちで遠巻きに見守る。

動物がご主人を選ぶ、という話はよく聞く。まぁ、主に漫画(動物のお医者さんやまっすぐにいこう。)で目にしたエピソードだが、犬や猫と暮らしたことがないわたしにとっては、その情報がすべてだ。

もしや、わたしを選んでくれたの?

連れて帰りたいなぁ、とおもいつつも、顔をみに行く日々が続いた。わたしは彼を「矢野くん」と名付けた。

 

ところが、先日。本屋さんの写真集の棚を通りがかったときに、ベンガルの写真集が目に入った。

あ!矢野くん!

嬉しくなって手にとってみると、表紙についた帯に「ベンガルは、とても人懐っこい猫です」とあった。

そうかー。

矢野くんは人懐っこいのかー。

まず紹介されてしまうくらいに、人懐っこいのかー。

 

矢野くんは、わたしだけに腹をみせているのではなかった。

まぁ、矢野くんには矢野くんの考えがあってのことだろうし、わたしが勝手に可愛いとおもっていただけなのだからいいのだけれども、でも人懐っこいなら人懐っこいって最初から言っておいてくれてもよかったのに…! 

 

話変わって、甥っ子(人間・1歳5ヶ月)が「おとーたん(お父さん)」「じじ(わたしの父のこと)」と呼ぶようになった。

世話を焼かされている女性(母・わたし・妹)陣は、納得いかないことしきりだ。

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わたしへ送るナンバー

なんだかバタバタしていたのも一段落して、やけにうきうきした気分で川へでかけた。

地味ながらも一応観光名所のある川なので、外国のひとや女の子同士のグループや、家族連れやカップルがたくさんいた。

中州にある島のベンチに座って本を読んだり、持参した魔法瓶のミルクティーをのんだり、釣りびとを眺めたり、空をみたり、いろいろした。

あまりにも、足りないものがなにもなくて、うっとりしながら時を過ごす。すると、サックスを持ったおじさんがこちらのほうへやってきた。

おじさんは、カップルの近くでは「未来予想図Ⅱ」、熟年夫婦の前で「TSUNAMI」、ファミリーには「崖の上のポニョ」、男の子3人連れに「ガッツだぜ」など、どうやら彼なりに選曲した曲を演奏していた。すごいレパートリー。

わたしは楽器を扱えるひとを無条件に尊敬してしまうので、おじさんの様子をじっとみていた。目が合った。

 

そして奏でだす「瞳をとじて」。

 

べつにわたしは失恋の傷を癒しに来たわけじゃないんですけど。

確かにシルバーウィーク真っ最中に、観光地にひとり佇んでいるのは目立ってるかもしれないけどね?自宅感覚で寛いでるのもどうかとおもうけどね?

 

これっぽっちも寂しくなんてねーし。

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そですりあうも

絵が描けた。というよりも、ここまでにしようと諦めた。

完成した作品を持って画材店へ向かう。額装してもらうのだ。額はあらかじめ選んでおいたので、マットという、絵と額の間につける厚紙の枠をどれにするか決める。色や質感はもちろん、斜めにカットされる厚紙の切断面の色も種類があり、絵の印象を左右する重要な選択だ。そしてわたしはこういうことが苦手だ。

作業台のはじっこで見本のマットを絵と額にあてながら、ためつすがめつしていると、どこかの絵画教室の生徒さんたちが団体で額装に来られていた。わたしと同じように、展示会が近いのだろう。秋だなぁ。

今回、わたしは大きめのサイズの作品を描いていたので、非常に作業台のスペースをとっていて申し訳ない。すみません、とひとこと謝ると、やけに気さくなおじさんやおばさんたちに取り囲まれる。

「わぁ、なんというか繊細やなぁ」

あ、ありがとうございます~。

「何年くらい描いてんの?」

10年、です。

「いやっ、ちょっと!キサキさん!キサキさーん!このひと(わたしだ)、ザクロ描いてはるわ!みしてもらい!」「いやー、ほんまや~、どこの絵の具?」「鮮やかやねぇ」「こつ教えて、こつ!」

こつ、って…と脱力しながらも、おもいつく限りをお話しする。途中、出品予定ではないが持ってきていた絵がどこかへいってしまい肝を冷やしたが、あるおばさんが他のおばさんにみせに行っていただけだった。

凄まじいな…。

最後にそこの教室の先生だとおぼしい方がスッとわたしに近寄って、

「あなたね、過ぎるほどに繊細なまま、そこを大事にして生きてかなきゃだめよ!恥ずかしくなんかないんだよ!」

と、やけにひねりのきいた仕草で言い置いて去られた。

感想?警鐘?占い?カリスマ?

 

なんだかよく解らないまま、22日からの絵画展の準備は調った。

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ほわわん

9日に生まれた、友達のあかちゃんに会いに行く。

もうすでに赤子とは呼べない、9キロ越えの甥を毎日のように抱いているので、ひさしぶりの新生児の軽さに驚く。

幻のように軽い。君は羽毛布団なのかい?

 

その、胸に抱いた時のほわ…とした感触が忘れられずに、帰り道で何度も腕のなかを確かめる。

ほわ。ほわ。

かわいいなぁ、といつまでもしあわせ気分に浸っていたら、母が

「生命がうまれる、って素敵やろ?」

と突然言ってきた。

う、うん…素敵だよね。

「わたしも生きていこうって気になるやろ?」

うん…?

 

わたしは人生降りているようにみえるのか?

ちょっとそれはいけんな、とおもい、ゆで栗をがっついて食べてみた。

  

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やどり木になる

朝から雨がぽつぽつ降っていたが、洗濯物が多かったのでベランダの奥の方に干した。

だが、昼過ぎに雨足が強くなってきたので、早めに室内に取り入れることにした。

 

さて、部屋に入って吉本新喜劇の続きでも観るかね、とおもったら、ブブブブ…という重い羽音が止まったと同時に、何かてんっとしたほのかな重量を持つものが頭の天辺に乗っかった感触があった。

虫だ。

やばい、とおもい、妹の名を呼ぶ。わたしの足元には抱っこをねだる甥っ子(1歳5ヶ月)が纏わりついている。

「なんか頭に虫が乗ってるとおもうけど、何?」

「…!でかい蜂!!」

 

…ぎゃ~!とエア悲鳴をふたりで上げながら(刺激は禁物)、甥っ子を別室にやる。どうしようどうしようどうしよう。とりあえず、ベランダに首をだし、ぎりぎりまでサッシを閉める。

「払おうか?お姉ちゃん、あたしが払ったと同時に窓閉めてよ?!」

と妹が言う。昔にも、わたしの頬にスズメバチが止まったことがあり、父が帽子で払ってくれたことがあったのだ。死ぬかとおもった。

しかし、ひとりが寂しい甥っ子が再び纏わりつこうとしているし、蜂の頭が妹の方を向いているという。妹はすでに中学生のときに熊蜂に刺されており、次刺されたら死ぬかもしれない(そう言いますよね?)。それに何より、自分がそんなに迅速な動きができるとはおもえない。室内にはいってしまった蜂の始末は相当怖い。

「もういい…わたしのことは放っておいて…りゅう(甥)を連れて遠くへ逃げて…」

頭だけ外のまま、なるべく首を伸ばしてじっとしていた。ここまでか…ここまでなのか…。

 

次第に雨が激しくなり、風向きが変わったのか、ベランダの屋根のあるところまで、雨が吹きつけてくる。顔と前髪がこまかい飛沫でびしょびしょに濡れてゆく。

ブブブブブ

重そうにまるい、黒い影が雨の中に飛びだしていった。雨宿りに来ていたのだろう。役に立たなかったから出て行ったのだろう。

よかった…無事で…。

 

びしょびしょの顔で居間に戻ると、妹が

「新喜劇、終わったよー」

とお菓子を食べていた。

 

ちょっぴりムッとしたが、これも命あっての物種。

ただ、崩れ落ちそうに疲れた。そのまま寝た。

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切羽詰まる

いつの間にやら10年以上在籍している(だけの)絵画教室の発表会的な、絵画展がもうすぐだ。

わたしの描法は、「ほっそい筆で大きな画面に気力の続く限り描く!」という根性一辺倒の超・非効率的なものなので、遅々として進まない。でも、技術の稚拙さを頑張りでカバーしなければ、とても人前にはだせない。アトリエの先生はじめ皆様に、顔をみるたび「大丈夫!?」と訊かれるが、そんなもん、わたしがいちばん心配している。

そして、わたしがあわあわしている間に、友人が子を生んだ。

詳しいことは聞けていないが、出産時はなにやら大変だったらしい。彼女の体質なのか、年齢なのか、原因はよく知らないが、同い年のわたしは、ちょっと、いやかなり焦ってしまった。

もしかして、わたし、人生からして切羽詰まっているのか?と。

いつまでも気持ちはフレッシュでも、肉体はどうだ。今だって、細かい作業で目がかすんでいる。

かといって、今のわたしにできることが何なのか、考えれば考えるほど五里霧中。

 

そうこうしているうちに、甥っ子が昼寝から目覚め、貴重な絵の制作時間が終わった。

公園に連れて行くと、いつもはわんさといるこども達がひとりもいない。

焦りの気持ちでドキドキしながら、砂場を足で平らに均してゆく。

甥っ子が溝で遊んでいる様子をみながら、ちいさな熊手で砂場一面に枯山水をつくった。

  

落ち着く~。

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行きはよいよい

CDのブックレット(歌詞)をケースに仕舞うとき、ホチキス止めされたほうをつるりと溝に沿わせて入れる。

パラパラした側から入れると、きっと一部がプワッとなったりずるっとズレたりすることだろう。

でも取り出すたびに

「ありゃっ、こりゃあ逆でないかい??」

とまじまじと見てしまう。

 

ところで、年々CDやらDVDのパッケージだとか、餃子の王将のたれの小袋開封にかかる所要時間が長くなっている。

タキガワ家は大抵、母がなにかの小袋をくちゃくちゃ揉んでいるのを見兼ねた父が、「貸してみぃ」と奪い、結局人肌に温もった、くんにゃりとした小袋がわたしに回ってくる。

家族総出でタイムロス。

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地域密着

散歩していたら、あるお宅の玄関ドアにこどもが縋りついて泣いていた。

察するに、叱られて閉めだしを食らっているようだ。何か悪さをしたんだな。坊主。

 

すると、わたしの前方から、だるだるのシャツにステテコ姿のおじいさんがフラリと現れた。

「おぁー、なんかあったらおっちゃんとこ来いや」

 

しくしく泣き程度だったこども、途端にギャン泣き。

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おとなの階段

書いても仕方ないことなのかもしれないが、多分わたしが持っている体験の中ではかなりなお役立ち度なはずなので、書かせてもらう。

ここをみに来てくださる方のなかで、1歳前後のお子さんをお持ちの方もいないとおもうが、後学のためにちょっと聞いてくださいよー。

 

甥っ子(1歳5ヶ月)の卒乳(昭和風に言うと乳離れですね)のエピソードだ。

噂によると、こどもによっては数ヶ月間泣き叫び、しかも一度決めた卒乳を途中で止めることは許されない、親御さんにとっても身を切られるように辛い、子育て界の踏み絵的ポジション…それが卒乳!(なんか違うような気もする)

おっぱいに顔を描いて、こどもを怯えさせるという方法もあるらしいのだが、妹の産院で「それだけはするな!トラウマになる!」ときつく言われてしまった。別にトラウマになったとて、日常生活に支障は来たさないかともおもうが、そこまで言われてやりたいわけでもないので、その案は見送った。

さて、そこで編み出した(?)方法、それが『セレモニー式卒乳法』だ。その名称が示すとおり、卒乳式をするのだ。

まず、事前準備として、1ヶ月ほど前からミルクの時間に「りゅうはもうすぐおっぱいとバイバイだからねー」と言い聞かせる。赤子はしらばっくれるが、構わず周りのおとなも「そうなんやー、すごーい」と軽めに褒める。

そして、心に決めた卒乳日。

ねんねの前に、できる限りの数のおとなたちを集め、赤子を取り囲む。うちの場合は5人でした。(何となく多い方がいいような気がする)

そして厳かに

「みなさん、たきがわりゅう(便宜上の仮名)くんは、今日から、おかあさんのおっぱいと、バイバイしまーす!!」

ここで割れんばかりの拍手!歓声!わー!わー!

りゅうくんすごい!おにいちゃんやな!おめでとう!こんなお利口しらんわ!

口々に褒め称え、寝床へ誘導。すると乳などなかったかのように、あっさり寝るではないですか!

念のため3日3晩セレモニーをし、無事に卒乳は完了した模様。

 

勿論あかちゃんの個体差もあるだろうし、日中は甥っ子が帰りたそうにしてもなお、外で遊ばせていたので疲れてただけかもしれない。結局何の甲斐があって成功したのかは解らないのだが、こどもも嬉しそうだし、セレモニーをやってるおとなも楽しいので、機会があればお試しあれ。

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猟奇的な父

わたし、ムシ捕まえるのが得意かも!と父に自慢した。

すると、父が「おれも得意やっちゅうねん」とわたしに張り合ってきた。

 

あそー、と適当に相槌をうちながら、おかきをたべていると、父は

「しかも、おれに捕まったムシは、即ばらばらにされるからな」

と過激なことを言いはじめた。

ばらばらにする必要はなかろう、キャッチアンドリリースの精神はどうした!?

問い詰めたが、父は悪びれる様子がない。

人生のある時期にそういう残虐なこともしとかんとな、とむしろ得意気だ。でも、例えそうであっても、あなたはもうとっくにその時期を過ぎていないといけない年齢だよ…っ。

 

なんだろう…父、寂しいのかな。

 

今はもうやっちゃ駄目だよ。おとななんだから。

おかきをざらざらと分けてあげた。

明日は一緒にレンタルCDを借りにゆく約束をした。

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