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大関のある風景

ワンカップ大関のCM(バス停にて空き壜に野の花が生けられている)をみて、あの空き壜は再利用されがちなものだったなぁ、としみじみする。

母方の祖母は輪ゴム入れにしていた。父方の祖母は暖かい季節になると道端のヒメジオンなどをもらってきては、生けていた。友人はポケットのじゃり銭を貯めていた。近所のイシノさんは醤油卵をつくるのにいいと言っていた。

しかし、わたしの知る限り、あのラベルを剥がしてつかっているひとはいない。ラベルが陽に晒されてがさがさになっているのをよく見かける。

いちいち剥がすのが面倒なのか、あのラベルは意外にオシャレデザインなのか、それとも剥がされた状態の壜が、あまりにスタイリッシュでまさか大関だとは気付けないのか。

スタイリッシュといえば、一時期ひとの家でいいちこの壜が調味料入れに再利用されているのをよく見た。何の流行りか、と我が目を疑ったものだ。

下町のナポレオンと書いたほうではなく、iichikoのほうだ。

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