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決まりだもの

妹のこどもの満1歳のお誕生日のプレゼントは絵本にする!というわたしの母のたっての希望で、車で小一時間かけて、行く。(もともとは近くにあった絵本専門店が遠くに移転したのだ)

絵本がひたすら棚に並んでいて、感動する。そして妹の記憶のなさっぷりにも、感動する。わたしの両親と妹は読書をする習慣がないので、なんだかぼんやりしているようだが、ここは宝の山だぜ。

肝心の妹が、何でもいいけど…という風情なので、わたしがこどもの頃読んでいて大好きだったものを中心に、男の子が喜びそうなもの(のりもの系)、そらでおぼえて愉しい言葉遊び、生活に関するもの(お着替えとか)、そして今すぐ使えるすごく分厚いページ仕様のものを併せて20冊ほどセレクトする。

「ぐりとぐら」のカステラをつくる回がちょうど売り切れてしまっていて残念だったのを除けば、まぁまぁ納得かな…とラインナップを確認していると、母が「あんたの選ぶ本は暗い!」とやけに明るい色彩の絵本をすべり込ませてきた。

うちの母は「(自分の娘が)暗い」というのを極端に嫌がるひとで、そのせいで学生時代は文化系クラブ禁止、漫画の単行本での購入は禁止、雨天以外は家のなかであそぶのは禁止などなど、今からおもえば偏見に満ちた教育方針を掲げていた。

しかし、わたしは外にだされても、隠し持ってきた本を木の上や叢で読んだり、よそん家の花びらを盗んで香水づくりをしようとしたり、他人の敷地(留守や空き家)に無断侵入して庭先でぼんやり座る…といった孤独な遊びにこっそりと精をだしていたので、効果があったのかは解らない。

母的には、もしかすると現在でいう『超ウケルんだけど~』など言える娘さんになって欲しかったのかもしれないが、そして長い間それに向けての努力はしてきたつもりだが、得たことといったら、あと3回くらい生まれ変わらないとわたしには難しいということくらいだ。

まあ、明るく朗らかに場を和ませておいて、ぽわんとなった白馬の王子様の隙をつき、ボディブローを食らわせる!くらいじゃないとオンナのしあわせは掴めないわよ…という母の教えなのかもしれない。(後半明るさ関係ない)

 

ちなみに、母の選んだ明るい色彩の本は、色は明るいものの、内容や言葉のテンポが戸惑うほどに寂しく(タイトルも寂しい「かぜのこもりうた」)、結局抗えない何かが脈々と受け継がれてゆくのを感じた。

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憧れのひと

雑誌っておもしろい。自分でわざわざ定期購読しているものは特にないが、隅から隅まで読むと、自分では調べようともおもわない話題で溢れていて、とってもおもしろい。

妹が育児雑誌を3誌(隔月もあるけど)と、「ESSE]」という奥様が読む雑誌を毎月買っているので毎月読ませてもらっている。

「ESSE」には北斗晶の人生相談が載っていて、それを毎月たのしみにしてるのだ。すごいんですよ、北斗晶は。めっちゃちゃんとしてる!「ESSE」に興味がない、という方も、一度立ち読みすればいいとおもう。

ずっと前から、佐々木健介夫妻がテレビにでると聞くと、結構チャンネルを合わせていたわたしだが、あの人生相談を読んでからというもの、北斗晶の主婦業のこなしっぷりに興味津々だ。

身近なひとに北斗晶の話題を振ると、大抵のひとは「そうそう!女性としてすばらしいよね!」と絶賛する。だが、わたしが「じゃあ、これからわたしが“尊敬するひとはだれですか?”って訊かれたら、北斗晶って言っていい?」と尋ねると、一瞬口ごもる。

その間は何だ?

何で尊敬するひとを決定するくらいのことで了解をとるのだ、という戸惑いか?それとも、ここでOKをだしたら、わたしがどえらいメイクをするとでも心配しているのか?

しねぇよ。

とにかくわたしは、真っ当な生活を営んでいるひとに弱い。実際どんな生活おくってんねん、って感じですが、勿論褒められたもんじゃございません。

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何人もいる!

まるで試されているようだとおもう。自分の柔軟性とかそういうものを。

今日はじめてテレビで新生EXILEを観た。

おもえば、いちばん最初にEXILEを観た時も、妹とふたりで絶句したのだった。踊ってるひと多すぎやん!

しかし、どうだろう。いつのまにか、EXILEに余剰人員がいたことなど忘れ去り、何ともおもわずやり過ごすようになってしまった。「人は慣れる生き物だ」という言葉はもしかして、EXILEが言いだした事なんじゃないのか。

そして、新生EXILE。所狭しと踊りまわっていた。わたしはテレビだからいいが、実際に観に行っているひとの位置によっては、奥のEXILEがちっとも見えない!ということになるとおもう。中央で歌っているひとすらよく見えん。

いつかやっと現・新生EXILEの人数に慣れたとしても、また増やしたりする予定があるのだろうか。EXILEには。テレビ番組のステージでは現在の人数が限界のように感じるが。最終的には、国民全員EXILEか?あなたもわたしもEXILEなのか?

ところで、たまに少年少女のバックダンサーを観たりすることがあるだろう。

なかには表情とか、指の先まで感情こめて踊っている子供もいたりする。やけにヒネリがきいてるねぇ!キミィ!という子供とか。おいおい、弾みすぎだよォ!って子供とか。

EXILEの踊るひとにはそういうひとがいないからか、余計に(あの数に)何か怖さを感じる。勿論よくみれば、踊りに個性とか癖もあるのだろう。しかし、素人のわたしには、職人さんのつくった茶碗のようだ。基本は同一の商品だけれど、この茶碗はあの茶碗より模様の一部が濃いな…くらいの差異。

わたしも出来れば職人になりたいものだ。

でも、新生EXILEには、ついつい驚きが笑いに変わってしまうわたしなのだ。

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ないっすわ!

ロフトの台所用品売り場をうろうろしていて「皮むき手袋・ムッキー」という商品を見かけた。

分厚いゴム手袋の掌と指の腹側(?)一帯に、ぶつぶつが多数ついており、その部分で野菜の皮をこそげ取る仕組み(サトイモとか)。

なんやこれ、えげつな!

わたしは今まで自分が点々密集恐怖症だとおもったことはない。でもあれは怖い。寒い。グロい。

いくら便利だからって、あの商品をキッチンに置いておける素敵な奥様はどれくらいいるのか。わたしが旦那さんならば、我が家の流しでムッキーを見たその日から、嫁を見る目が変わる。例えゴキブリにきゃーきゃー騒いだって、ムッキーを使える嫁は新聞紙で充分撃退できるだけのチカラは持っている。甘えるな!

特に心の弱った時にだったせいか、トラウマになりそうな手触り。

帰り道ではずっと、昔「別冊マーガレット」で読んだ、顔面がひまわりになる(種だらけ!)というホラーまんがをおもいだしていた。

きゃー!

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みどりのゆび

今まで何度も何年も、目には映っていたはずなのだが、意識したのは生まれて初めてだ。

散歩をしていて、溢れんばかりのお花を丹精されている人様のお宅の庭先に、植木鉢に植えられた菜の花があった。

なんだこりゃあ、やけに葉っぱが多いぞ…とおもってよく観察してみると、どうやらそいつは成長した葉牡丹なのだった。

お正月に玄関先に飾る葉牡丹。なんだか美味しそうな葉牡丹。でもみんな食べない葉牡丹。

昔から、新年に葉牡丹を用意するお家に憧れていたのだが、うちはそういう家ではないので、葉牡丹のその後に関してはまるで考えたことがなかった。なんだかんだで春先には玄関先から消えてゆくものだとおもっていたのだ。

葉牡丹のベストの状態をお正月に設定するならば、盛りを過ぎて過ぎて過ぎた葉牡丹。そして春を迎え花盛りになって、咲いてみれば牡丹じゃない。菜の花じゃん。いや、最初から牡丹だとおもっていたわけではないが。

葉牡丹はお正月の風物詩(?)だけれど、当然のことながら、お正月が来ようが来まいが葉牡丹には葉牡丹の生きる道がある。葉牡丹はこれからどうなっていくのか。そういえば、わたしは菜の花の最後もよく知らない。

葉牡丹によく似たキャベツは、あの玉のような状態しかみたことないけれども、育ちきるとどうなるんだろう。葉っぱの多さは葉牡丹の比じゃないから、相当もっさりすることだろう。

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おじさん化、着々と

広島に行っていた。

勿論(?)、目的は広島カープ。マツダスタジアムでのはじめての試合を観に行ったのだ。

対中日戦だったのだが、ピリッとしない試合展開で大敗。5回が終わったところくらいから呆然とし始めて、「終わったら写真とろう」「ホームベースの近くまで、客席伝いに歩いていけるのかな(三塁とレフトの間くらいの席だった)」「蝙蝠が多いな」「中日ユニフォームの“CHUNICHI”ってロゴが“CHINTAI(週刊賃貸)”に見えてきたよ…」とか、そんなことばかり考えていた。

学生の頃、贔屓の野球チームが負けた翌日は機嫌が悪い先生がいた。他にもそういうおじさんに会ったことは何度かあるけれど、何で他人がやってる野球なんかにそんなに感情移入しているのか理解できなかった。

ところがどうだ。我が人生の喜びや苦しみはカープと共にあり!とまでは行かないが、それでも真剣に野球を観るとイライラすることばかりだ。

このまま大人になっても、人間がスレてゆくばかりだ…と人生に辟易していたが、ここまできてはじめて識る事実。

多分わたしは強い母になるより前に、おじさんになっているとおもいます。

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ゆめのはなし

朝から疲れている。

夜中に何度も目を覚まして、寝なおしても寝なおしてもおなじ夢の続きをみていた。超短編イベントをタキガワ家でするから、と連絡がある夢だ。

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ピンポーン、と鳴ってドアを開けると、何だかひとがいっぱいいて、いきなり受付を任されることになるわたし。しかし、あわあわしているばかりで何も出来ず、タカスギシンタロさんとマンジュさんにお助けいただき、へこむ。

そして、イベントが我が家の二間続きの和室ではじまった。テーマは「超短編の発展のために」。今後の超短編界に必要なのはアイドル的存在である…ということになり、女王(とみんなに呼ばれていた)たなかなつみさんより、マンジュさんと春名トモコさんが、その役に任命される。

そこへ「待て待て待てーぃ!」と乱入するセーラー服の美少女。わたしの隣に座っていたひょーたんさんが「空虹桜さんだよ」と教えてくれる。

空虹さんは「アタシこそがアイドルの中のアイドルよ!」とアピールを展開。会場が騒然となる。

そこへ春名さんが「西の春名、東のマンジュ、北の空虹ということで、みんなで超短編アイドルとして頑張っていきましょう!」と提案。満場一致で拍手。

イベントが終了し、せっかく京都に来たんだから…とみんなで寺を巡る。

何も出来ない自分が不甲斐無く、列の最後尾をとぼとぼ行くわたしに、葉原あきよさんがハコベをくれる。ありがとう!はやかつさんも、田圃の用水路で獲りたてのおたまじゃくしをくれた。ありがとうございます…わー、ぴちぴちしてるぅ…。

寺のお庭を散策し、芝生に寝転んでみんなで超短編を書く。みねぎしさんが喉が渇いたというので、池にそそぐ小川の水でグリーンティをつくる。みねぎしさんは「気分的にはひやしあめなんだよね」と仰りつつおかわりしていた。

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もうほぼオールスターなんじゃないか??というくらい他にもたくさんの方々が登場していた。会ったことのない方も。

ただの夢の話ですからね。実際の皆さんとは勿論異なります。

空虹桜さんには、まだお会いしたことがありませんので、夢の姿とかなり違うことは承知しています。その上、飛び入り参加させてすみません…。

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ああ天かすのある暮らし

今、うちに天かすがある。

まるっこい揚げ玉じゃなく、天ぷら終わりのあぶらから掬ったざくざくした天かすだ。

天かす――こんな最高のたべもの、ほかにあるだろうか。

生姜やらねぎやら、いろいろなものとごはんに混ぜて、ちょろりと醤油をたらしたり。すうどんにいれたり。かす呼ばわりして申し訳ないくらいだ。事実、天のかすなわけだけれど。

うちでは、天かすを買うことはごく稀だ。売り切れててない場合も多いからなのだが。なので今回のご来訪が嬉しくて仕方がない。お好み焼きやたこ焼きなんかにいれるものか!大切に大切に、生(?)の味を愉しむぜ。

けれど、両の掌に盛れるほどの量の天かすが、47円というのは高いのか?安いのか?メンタル的には安く感じる気もするが、実際は結構ふくらんでいたりもするだろうし…。

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フールなおもいで

嘘ついてるかーい!

高校生の時に、エイプリルフールだったので親をだまくらかしてやろうと「おかあさん!大変!お風呂の栓をしないでお湯沸かしてしまった!」と言ってみた。午後9時30分。

結果、こちらがヒくくらい家族じゅうに怒られ、ならばいっそのこと栓を抜いて、さら湯をすべて落としてやろうか…嘘をまことに変えてやろうか!というくらい傷ついたわたしは、アレ以来エイプリルフールをしていない。

中学の頃、12の月を英語で黒板に書いてください、と言われたが、まんまとわたしはエイプリルの最初の綴りを“Ei”にしてしまい、英語科のおばあちゃん先生に「おぅ、すぃいい!(惜しい)、ミスタキガワ、おぅすぃいい!」と叫ばれる。

ちなみに、そのおばあちゃん先生は“women”を「ウーメン!」と元気いっぱいに発音していたので、わたしたちのクラスも当然そのように発音していた。

わたしは高校の時に通っていた英会話教室でその発音を指摘され、非常に恥ずかしいおもいをしたのだけれど、クラスメイトの人たちはどうなったのだろう。

どうか、密やかに間違いを正せたか、その発音を発表する機会に未だ恵まれていないことを祈る。

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