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踊る

 姉が家をでた。大騒動になった。姉の婚約者の家族も巻き込んで、騒ぎはなかなか静まらなかった。僕は、つるりつるりと魚をのみ下しながら、彼らの様子をただ観ていた。親のくせに、と苦々しくさえおもう。

 親のくせに、何年あの女に付き合ってんだ?姉がごたごたを引き起こすのはいつものことじゃないか。

 愚にもつかない話し合いを繰り返すその集団の中で、姉の元婚約者だけがただひとり、落ち着いているように見えた。すらりと首をもたげ、前を向いている。全く、姉はばかだ。ここらで一番の魚捕り名人の彼を掴まえておいて、いよいよという時にするりと逃げて。

 男の本質なんて、皆おなじよ。自信たっぷりに笑って、姉は言った。出奔前夜のことだ。そして臆面もなく、僕に話した。満ちたりた横顔をして。

 姉と連れ立った、その男の求愛は、それはそれは素晴らしかったのだそうだ。

 紅い夕日が、拡げた男の羽を隅々まで染めて、その真摯に舞う姿は風を生んでいるようにしか見えなかった、と。

 その時が来たら、ああいうふうに踊れる男になってね。そう残して、姉は発った。

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仮想スター

親戚づきあいの一環で、伯父や叔母たちとカラオケに行く。

なんでも歌いなさいよ、とおじさんは口々に言う。しかし、あたらしい歌も知らないし、ふるい歌も知らないし、カラオケはあまりすきでないというのも手伝って、手持ち無沙汰に曲のタイトルを眺めているだけだ。

ほんとうに何でも歌っていいんだよ、遠慮しないで!練習なんだから!

練習?

いったいどこで本番を迎えているのか。

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教科書には載ってなかった

奈良国立博物館、正倉院展に行く。

宝庫に眠る約9000件の宝物のうち、70件を出陳しているらしい。

鏡だとか香炉だとか、うつくしいものがあった。人もすごかったので、かき分け進むのはかなり骨が折れたが。なんせ見渡す限りご老人だったので、手荒な真似はできまい。

しかし、いかにも宝物!なお皿だとか屏風に混じって、作業着やエプロン(と推測されるもの)があるのはどういうわけか。

いや、全然陳列されても構わないんですよ?当時の生活ぶりとか風俗を知るには大切なことだろう。でもね。でも。

作業着やエプロンを宝物倉に入れる必要がどこにあったのか。

ワレモノを包んでいたりしていたのか?それとも整理に入った方のお忘れものとかじゃないだろうか。あの展示をご覧になっていた方々も、興味深い顔で覗き込んではいたけれども、本当はちょっとおもわなかったか?これは宝なのか?、と。

木綿は貴重なものだったろう。税として納められていたらしいし。でも、作業着になっちゃった布は、宝物倉に入れるものじゃない気がする。

着古したおとうさんのシャツで靴磨き、みたいなことなのかもしれない。作業着、何汚れなのか解らない汚れ方してたし。

宝の基準は時代それぞれひとそれぞれ、ということを心に刻み付けた秋の1日だった。

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なんくるない

2月にCTスキャンを撮ったが、とうとう胃カメラをのむことになった。大掛かり検査第二弾!今回ばかりは逃げ切れなかったのだ。

あまりの恐怖にゆうべは旅に出てやろうかとおもった。

ただ、風邪がなおりかけで咳が出ていたので、検査を受けられないかもしれない…。途中でごほってなったらだめだもんね…とおもい、問診表に大書きし、受付の方にもアピールしてみたが、あっさり通された。

内視鏡検査室で順番を待つ間も、緊張のあまり失神しそうだった。むしろ失神したい!待合室の壁に、これからの検査手順や諸注意などが書かれてあるのを眺めながらカラダがつめたくなってゆく。「事前にお申し出下さい!」の項に心臓病・白内障…などの病名があり、最後に気分の悪い方、とある。

はい!気分悪いです!

肘を耳につけるイキオイで挙手したかったが、大人の理性で何とかこらえた。前の方が飲んでいるシロップ(おなかの泡を消す)やゼリー状の麻酔なんかをいちいち覗き込んでは、看護師さんや患者さんに爆笑される。

「タキガワさん、この麻酔は結構苦いわ!」(いつの間にかみんなに名前を周知されている)

待合室はなごやかなムード。わたしひとりをおいて。

おじいさんが胃カメラを終えて戻ってきた。ご老体も生きて帰れる検査だぞ。勇気をだすんだ!若いわたしに耐えられないわけないじゃないか!

シロップと麻酔を飲む。麻酔はすごい。息苦しい。うわ~、喉が詰まってる感じする~、いやだ~、こっちのほうがいやだ~、早く胃カメラのみてぇ~。

よし、いける!…か?

怖かったら眠くなる注射をしますよ、と言われたのもかっこよく拒否し(嘘。注射の方が怖かった)、怒涛のように胃カメラ挿入。おえっとなるかとおもいきや、全然ならなかった。

父に聞いたコツとしては、①麻酔ゼリーを出来るだけ喉の奥に留めること ②マウスピースを医者の見ていない隙にずらし気味にする ③喉をしめない  だった。

ちなみに友人からは、下手に抗わずにのんでやれ!くらいの能動的な気持ちで臨むよう…とのアドバイスがあった。

看護師さんは、遠くをみて違うことを考えろ!と言っていた。なのでオリンポス…オリンポス…と心の中で呟いてやり過ごした(遠くにオリンポスの機械があった)。

わたしの体得したコツとしては、横になった瞬間から、ここに何をしに来たのかを忘れる…ということだ。気が付いたらカメラが十二指腸まで行ってたもん。

でもね、いつもおもうことなのだが、このびびりすぎる性質を何とかできないものだろうか。昨年の七夕で「動じないひとになれますように…」と短冊に書いたのだが、まだ叶っていない。大人の割に、こんなに周りのひとに泣きついているひとを、わたしは自分以外に知らない。

幸いなことに、それでもそばで励ましてくれるひとがいてくださるのは有難い。

今日なんて、知らないおじさんたち(待合室の)にもお世話になったもの。感謝。

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girlie / 泣くオンナ

 夜のバスは想像より暗い。でも光の函みたいで特別に感じる。そんなことさえ私は忘れていた。日が落ちてから外にでることが難しくなっていたから。

 ひとつバス停を過ぎて、ずっとけたたましい声をあげていたオンナノコたちが降りていった。じゃーね、ばいばーい。ひとり離れた座席にすわっている男の子の横をすり抜けるたびに、かわいい掌がいくつも揺れた。肩ごしに、男の子も笑っているのが後部席からでも解った。クラスメイトだったのだろう。

 車内の灯りで窓の外が見えなくなっているせいか、やけに私たちは取り残されている。でも頑丈に守られているようで不安はない。

 ほそい肩だな。頸も。気がつけば、制服の彼から目が離せない。いつの間にか、私の背筋は伸びている。保冷剤入りの、使い込まれた買い物袋なんかを持っている自分を呪う。ただひとまわり歳を経ただけで、私は随分重たくなった。窓ガラスは鏡よりも鮮明に私を映す。

 もう本当のことはとっくに識っているけれど、それでも今でも待っている。連れ去られるのを。

 今日も何もなかった。夜道にひとり吐きだされた私は剥きだしになっている。

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おとんアワード2007

久し振りに嫁いだ妹が帰ってきた。久し振りといっても10日くらいなのだが。

父が夜釣りに行って不在だったので、母と妹とわたしの3人で、延々おしゃべりしていた。話題は「夫婦」ということになり、唯一の独身者のわたしは、既婚者の話をふんふん聞いていた。

妹が夫婦喧嘩の話をして、そういえば父と母も最近結構喧嘩してるよね、という話になる。

それは、友人との飲み会で帰宅が遅くなった母と、それで不機嫌になった父が口論になった夜のことだ。

妻たるものがこんなに遅くまで遊んでいるとは何事ぞ、と怒る父に、子供も手を離れているのに何故遊びに行ってはいけないのかが解らない、と母も言い返していた。

「だいたいうちが子供をひとりで育てたようなものやのに!お父さんは非協力的やったやん!」と母。そりゃそうだ、わたしの父は昔も今も趣味に生きる男だ。そこを持ち出されたら勝ち目はないだろう。

「一生懸命頑張ってきて、たまに遊びにも行かれへんなんて、もう離婚や!」

おかあさん!抑えて!今更離婚してどうすんの!おとうさんも、ちょっと遅くなったくらいでそんなに怒ることないやん!

逆ギレる母、それを諌めようとするわたしを静かに見つめて、父は言った。

  

「もうちょっとの辛抱や…」

   

何が?

もう我慢できません、と言っているひとに対して事実上の‘俺は変わらないけどこのまま頑張れ‘宣言。励まし合い、助け合っているようで、全く助けていない。

このエピソードを聞いた妹は、やけに嬉しそうだった。妹の結婚から、父はなんだかんだいいつつもナーバスになっていたので、今年は名(迷)言がでないかともおもっていたのだ。

2007年は「もうちょっとの辛抱」!絶対ちょっとじゃ済まねーし!

母は父のこういうところがすきで、夫婦になろうとおもったのだろうか。違うって言うとおもうけれど。

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