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ビューラーの恩返し

昨日。黄昏時のマツモトキヨシの片隅で、わたしはひとり屈み込んでいた。

ビューラーが欲しい。

何故だか強く感じた。でも、もちろんビューラーは持っている。朝に昼に大活躍だ。まぶたの肉も一緒に挟むくらいのイキオイで(泣きます)、今日も根元ギリギリからまつげをカールさせているぜ。

そういえば、ビューラーの寿命はいつなんだろう。でも使えるうちは使わないと勿体ない。ごみになっちゃうんだから。

一重部員としての意識がビューラー購買欲に結びついたのか。しかし、わたしは振り払った!そして当初の目的であるコットンだけを手に、レジへ向かった。

  

そして、今朝。

ハナウタまじりにビューラーをまぶたにあてた。一瞬、いつもと重心が違うような気がした。ザク。まつげが切れた。

…!

…痛い!それよりも、まつげが!まつげが!

落ち着いてビューラーを検分すると、まつげを挟んでカールさせるフレームがゆがみ、ゴムのクッション部分からずれている。女子の救世主・ビューラー様が、まぶたのカーブにフィットするただの鋏と化していた。

昨日、突如マツキヨでわたしを襲った衝動は、老体に鞭を打って頑張ってくれていたビューラー様のふりしぼった最後のお力だったのだ。

ありがとう、ビューラー様。そしてお疲れ様。でも残念ながら、その心はわたしに届いちゃいなかった。その代償が切り落とされたまつげだというのなら、わたしは甘んじて受けよう。

   

まつげがないと、うす曇りでも眩しいです。ビューラー様。

 

あたらしいビューラーさんには、いよいよという時には、もう少し解りやすい方法でお知らせいただきたい。使う前に(ここ重要)震えながらばらばらと散るとか。

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HITOE部

二重まぶたがいいんだろうか。

わたしは、一重まぶただ。コンタクトレンズユーザーは、いつの間にか一重→二重への変貌を遂げることもあるらしいが、わたしにはそういうことは起こらなかった。

小学生の頃、クラスメイトのココちゃんに「二重にする手術はあるけど、一重にする手術はない。だから、二重が上!」と言われて納得いかなかったことがある。誰もが二重に出来るんじゃあ、ありふれてるじゃないか、と。

わたしは断固、一重まぶたを愛する。せっかく塗ったアイシャドウが目を開けたとたんに隠れたってなにさ!カールしたまつげがまぶたから直で生えてるみたいだからってなにさ!腫れぼったいからってなにさ!

前日の夜に「火垂るの墓」みて大泣きしたって、二重のひとより気付かれにくいぜ。

目ヂカラとは、メンチをきるチカラのことを指す…の言葉を胸に、一重まぶたとしての人生を全うしようと誓う。

ノーモアアイプチ!ノーモアかくれんぼくん!

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それぞれの解決法

悩み事があるとき、どういう風に解決しているか、両親に訊いてみた。

母は「すぐ忘れるやん」、父は「とりあえず早よ帰ってきてぼけーっとしてたらいいやん」と答えた。

そうかー、ありがとう…と言って去ろうとすると、悩み聞きたがりーの両親が部屋まで追いかけてきた。嬉しそうに。

「なになに?なんか悩みか!あんた最近やたら寝てるな~とおもっててん!(注・わたしはかなしいことがあると睡眠に逃げる)」

「おかあさん!あんま訊いたったらあかんでぇ~。こいつ繊細やから(タキガワ家比)!…あのな、夜に考え事したらあかんねん」

「打ち明けたら、気済むって!△△子(妹)に電話したろか?すき焼きしたろか?」

いいから!もういいから!悩みなんてないから!と両親を追い払った。軽い気持ちできいてみたら、大変なことだ。

最近の悩みごとといえば、せっかく気持ちよく眠っているのに自分の寝言とか、笑い声がでかすぎて何度も目が覚めてしまうことくらいだ。

ゆうべの笑い声なんて、HAHAHAHA!と外人ばり。起きててもあんな声で笑ったことねーよ。

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ハッピー道

最近ハッピーターンをたべていますか?

昼休み、亀田製菓のカレーせんべいをたべていた流れで、ハッピーターンの話題になる。

ハッピーターンは、パウダーポケットの導入により、各ハッピーターンの味の均一化に成功している。昔のように「なんだよー、このターンには全然ハッピーパウダーがついてないじゃねーかよー」というおせんべいに当たる確率が、飛躍的に減少!今日の雑談でも、ハッピーポケットを褒め称える内容に終始していた。

でも、本当にそうなのだろうか。わたしは心から、パウダーポケットの導入を喜んでいるのだろうか。

確かに、ハッピーターンはおいしくなった。包んであるセロファンの「小ネタでハッピー」を熟読しながら適当に手を伸ばしても、普通においしい。舌が感じるハッピーパウダー濃度はさほど変わらない。さすがだ。でも、それだけじゃ物足りないのだ。

あなたにもあったでしょう、あからさまにパウダリーな1枚を探しだす楽しみが。

あの頃。パウダーポケット導入前ハッピーターンのパッケージを開けるやいなや、わたしはひよこの雌雄を分けんばかりの勢いで、ハッピ-ターンの選別に取り組んだ。選ったハッピーターンは、纏うパウダーの量ごとにA級・B級・C級・問題外にランク付けられる。そして味の薄いC級・問題外は袋に戻され、そっと母に差しだされた。

B→B→Aの順番で口に運ぶハッピーターン。舌に染み入るハッピーターンの甘しょっぱ~い味。

ハッピーポケット後のハッピーターンを、うちの母なら喜んでいるかもしれないが、わたしはまだあきらめてはいない。

今だって、ハッピーターンをたべる時は、少しでも味の濃いハッピーターンを求めている。それはもう必死で。

末長いしあわせは、それはそれで素晴らしいけれども、一瞬の激しいよろこびに身を委ねたくなることもあるのだ。

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シタゴコロ

夏の昆虫は無鉄砲なことをご存知か。

わたしはマンションに住んでいる。その共用廊下には、夏になると毎朝毎朝かなぶんが転がっている。それだけならまだしも、ひっくり返ってワタワタしている。

…ぁぁああ!もう!朝は一刻一秒を争うのに!!

わたしのさわやかな夏の朝は、かなぶんを起こすところからはじまる。掌は朝っぱらから花火の匂いにも似たかなぶん臭がぷんぷんだ。

それだけならまだしも、カミキリムシが排水溝の覆いの穴に挟まって、もがいている事さえも。仕事に行くなということか。

  

今夜は帰り道で、今にも車道に飛び出しそうになっているカブトムシをたすけた。気分は「危なぁー…ぃい…(スローモーションでダイブ!)」だったが、実際はひょい、だった。

そんなちいさな動きだったので、残念ながら、カブトムシをたすけたわたしを目に留めたひとはいなかっただろう。なので、お金持ちの飼い主が「この子をたすけてくださったようで…」とカブトムシを腕に抱いて我が家を訪れることはないし、実は物陰から窺っていたひとに「カブトの君…」と想いを寄せられることもないのだ。多分。

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くるりライブ、タテに揺れるかヨコに揺れるか

くるり「ふれあいコンサート」へ行く。

あたらしいアルバムを全く聞いていなかったので、どうなることかとおもったが、かなり楽しんだ。

ただ気の散りやすい性格ゆえ、ちょこちょこ違うことを考えてしまう。

まず席が2階席の後方、通路(階段)側だったせいで、落ちそうで気になって仕方なかった。蒲田行進曲ばりに転げ落ちたらどうしよう…しかも落ちかけたわたしを助けようとした人がいたら…その人もろとも落ちていってしまったら…ええっ、「オレがアイツでアイツがオレで」??

それから、どこのライブでも、途中で手拍子ムードになってしまうことはあるけど、あれはアーティスト側の意見としてはどうなんだろう?手拍子ってちょっとダサくないか。垢抜けないというか、宴会イメージを拭えないというか。今夜は特に前半が、牧歌的な曲が多かったので、もう焚き火囲んでる趣き。くるり中学・林間学校の夜、みたいな。

そして、いちばんのお悩み。ライブへ行くと、カラダでリズムを刻んでしまいますよね。普段は情熱の欠片すらないわたしだが、ライブとあっちゃあこのカラダが黙っちゃいないさ(嘘)!そこで考えてしまうのが、「タテ揺れかヨコ揺れか」。

かつて、バブル期を謳歌した世代はヨコ揺れ、以降はタテ揺れ…と聞いた気がするのだ。となると、バブルの恩恵なんぞ受けちゃいないわたしは、タテでいきたいところなのだが、待てよ。毎回おもう。あれ?バブルがタテだったっけ?

ああ、だめだ!こんな揺れじゃあ!時代におくれてる?!最近のひとはタテでもヨコでもなかったりして??

    

   

くだらないことばっかり考えてるようですが、ちゃんと満喫しましたよ!

まさか聞けるとおもわなかった曲もいっぱい聞けて、涙しました。懐かしいやつ。ワンダーフォーゲルとかばらの花とかサンキューマイガールとか虹とか。あとあと、ロックンロール!感激したなぁ…。

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