父の愛・せいいっぱいの
どうにもこうにもな体調だったが、これだけは…!と、祖父の墓参りに行く。父とふたりだ。
冷たい水で墓を拭ったため、わたしたちの手指はあかく、ぴかぴかしている。
わたしはハンドタオルを持っていたので、父に渡した。
「これ、わたしが洟ふいたタオルやねんけど、手ぇ拭きー」
父は、手渡されたタオルをちょっと見つめた後、眼鏡を軽くみがいてから返した。
びしょびしょの手で。
どうにもこうにもな体調だったが、これだけは…!と、祖父の墓参りに行く。父とふたりだ。
冷たい水で墓を拭ったため、わたしたちの手指はあかく、ぴかぴかしている。
わたしはハンドタオルを持っていたので、父に渡した。
「これ、わたしが洟ふいたタオルやねんけど、手ぇ拭きー」
父は、手渡されたタオルをちょっと見つめた後、眼鏡を軽くみがいてから返した。
びしょびしょの手で。
ただいつものように仕事に向かっているだけなのに、カップルに行く手を阻まれる今日。クリスマスですね。
ここ1ヶ月くらい高田純次のことを考える機会にものすごく恵まれていて、仕事の合間の空白の時間にふと浮かぶのが、純次についてだったりする。
ただのいいかげんなおっさんイメージしかなかったのだが、あまりにも深く考えすぎて、本来持っていた彼の印象すらも見失っているこの頃。
「適当手帳」がほしいなぁ。
まぁそんな言い訳をしなくても、毎月浪費を繰り返しているわけだが、今年の自分へのご褒美はこれだろうか。
高田純次のことを考えはじめてからというもの、高田純次のことを嫌いなひとに会ったことがない。愛されているんだなぁ。
でも、こんな気持ちとは今年中に縁を切りたい。そんなわたしが純次一色のスケジュール帳をつかうのは自殺行為じゃないのか。心中?
ファイルを買おうとおもって、ロフトへ行った。文具売り場はクリスマスカードやら、ラッピング用品やらでいっぱいだ。
用もないくせに、ファイルそっちのけで売り場に見入るわたし。
意外なことに、何故かラッピング用品を選んでいる男子が多い。え~。
包めるの?というより、何を包むの?
ここでラッピング用品を買うってことは、今あなたのおうちにあるプレゼントは丸裸ってことだよね?お店で包んでもらわなかったの?出来上がりが気に入らなかったの?
あるいはもしかして、そのプレゼントは手づくり?
ぶきっちょ代表のわたしだからこそ、こんなに気にかかっているのか。みなさん案外普通なのか?「あ、わたし彼に手編みのマフラー貰ったんですよ!」とか「いいなー、わたしは手づくりクッキー」。はたまたあれか。
「今年はガンプラ…わたしの彼ったら忍耐づよいんだ~」とか、そっちの方?
わたしなんて、わたしなんて、母にあげようと編んでたマフラーが、長さを半分に折りたたんだ座布団になってたさ。しかも、大半を母自身に編ませたさ。コンビニでアルバイトしていたときも、ギフトが包めず見かねたお客さんが包んでくれたさ。
何だい、ちょっと器用だからって見せつけてくれちゃってさ。
ハナウタにしてはやけにハッキリと、「もろびとこぞりて」を歌っていた。
黙って聴いていた母が「昔からおもってたけど、あんたのその歌どこかおかしくない?」と言ってきた。
そして発覚したのだが、わたしは「主は来ませり」のところを、外国人の名だとおもって歌っていたのだった。
シュワキ・マセリ、シュワキ・マセリ、シュワー、シュワー、キ、マーセーリー。
シュワキさんは、木こりです。ひとりで山にこもって暮らしていますが、気は優しくて力持ちのシュワキさんは、みんなに好かれているのです。クリスマスは、そんなシュワキさんが山から下りてくる唯一の日。さあ!みんな歌おう!七面鳥を持って来い!
七面鳥はおいしいのだろうか。わたしには、とてもじゃないけどアイツが食べものっぽい感じがしないのだが。
家から見える一軒のとあるお宅のお庭が、12月にはいってからというもの、すごい。
この季節になると、一般の住宅でもイルミネーションで飾りつけている家がある。一軒家で暮らしたことのないわたしにはちょっとした憧れだ。
ただ、近所のお宅はなぜか毎日すこしづつ、電飾が増えてゆく。
昨日、庭の片隅に電飾がふたつ、つくねられているな…とおもっていたら、今日になってサンタクロースの靴部分であったことが発覚した。
なんでそんなに小出しにしてんだ!
しかも、まだ建設中のお家が多い住宅街のまんなかなので、そのお宅の前を通るひとは数えるほどしかいないはずだ。
生け垣に、「メリー!」と形作られた電飾が点滅しているのを見る限り、クリスマスの完成を目指しているらしいが、26日の庭の有様をおもうと、鼻の奥がつんとする。
冬はまだまだ続く。
ちょっとしたお出かけに便利そうだなー、とずっとずっとおもっていたウエストポーチ(みたいなやつ)を先日購入した。
ラム革で、黒いやつだ。
かわいらしくてなかなかお気に入りなのだが、それがどうにもこうにも乳くさい。
信号待ちの時なんかに、ほわほわと漂ってくるその匂い。
よく香水のつけ方のマナーとして、「すれ違いざまに、あ、なんか今香ったぞ…位の量が目安です」とかあるけれど、これでは「え?なに?あのひと家畜?!」と道行く人を振り返らせてしまうではないか。
制作のお手伝いをしている劇団の準備に追われている。まあ、わたしはあたふたしてるだけで、何もしていないのですが…(手伝ってないがな)。
と、いうわけで今週やります。
第8回公演 ジュースの映画製作顛末記
『ドイツ→日本』 ポップ!センチメンタル!モノトーン!な再演版
日時・12月15日(金)19:00~ 16日(土)14:00~/17:00
17日(日)13:00~/17:00
料金・予約/1000円 当日/1200円
場所・名村造船所跡地内 Side chamber (大阪市住之江区)
運よくわたしに出会えた方には、笑顔で手を振ります(全然嬉しくないサービス)。合言葉とか決めておいた方がいいかしら…。
そんな誰も得をしない冗談はさておき、演劇に興味のある方はどうぞお越しくださいませ。
老体に鞭打って頑張ってます。持ち運んでいるチラシが重過ぎて、電車に乗り遅れても泣いたりしません!嘘だ。ちょっと泣いた。
大量のチラシを持ち歩くためか、二の腕に筋肉がちょっぴりついた。このままいくと、フィットネスの本とか出せるかもしれない。「タキガワの、ひきしめ!制作トレーニング!」とか。
そのせいで制作が流行してしまったらどうしよう!わたしみたいな、お飾り制作は追いやられてしまうではないか!
真価が問われる。やらねばやらねば。
我が家にはテレビが1台しかない。
チャンネル権の順位としては、妹→父→わたし→母、となるわけだ。ちなみにチャンネル権第1位の妹はお嫁に行ったが、まだその権威は衰えることをしらない。妹が見たい番組は、何故だか今でもタキガワ家で録画されている。録画権含めてのチャンネルだ。
なので、リアルタイムで観る、というのが残された3名の戦いとなる。
父ががーがーと騒ぎ立てる作戦をとるため、わたしたちは、よっぽどのことがなければ父にテレビをみせて「あげる」。どちらにせよ、父は9時台の番組が始まる頃にはうとうとしはじめるため、あとは母とタイミングを見計らってチャンネルを変えるだけだ。
かわいそうなおとうさん。
父の熟睡具合を確認するためだけに、そっとブランケットをかけながら、自分がとんでもない親不孝をしているような気になる。
しかも父が寝静まってから、頂きもののいいお酒とか、高価なチョコレートを母と分けたりしている。
男親は不憫なものです(?)。
先日、家でほうとう鍋をたべた。
「うどんにコシはいらない!」タモリ派のわたしにとっては、すごくすごくおいしかった。だって、普通のうどんのときに、血眼になって探すぴるぴるのうどん(薄っぺらく切断されたうどんの切れ端部分)がいっぱいあるんだよ!
あまりに気に入ったので、毎晩のように「ほうとうは?」とアピールを続けている。あんなおいしいもの、毎日食べたいに決まっているじゃないか。
でも、わたしだって毎日同じメニューが続くとはおもっていないのだ。第一、あのほうとうだって安売りされていたから買ってきただけだったし。
毎日安売りしないかなー。ここのところ、ほうとうのことしか考えていないわたしだ。
ネタ帳失くした。
嘘だ。ネタ帳といえるほど立派なものではない。
「日記書けよー」とおもってらっしゃる方もいるかもしれませんが、一応毎日何かしら書きつけている。その紙がごっそり消えた。
レシートとか、裏紙とか、他愛のないものに書いていたからだろうか。
超短編関係の原稿もいつもこうやって失くしていく。でも超短編はいいのだ。見つかったときに新鮮な気持ちで手を入れられるから。でも日記は日を記すものであるからして、そうはいくまい。(じゃあ、溜めるな)
失ったものは、どうしてあんなにも輝いて見えるのか。
ところで、「裏紙」という言葉はわたしの職場でのみ通じる言葉だとおもっていた。みんな普通に使っているよね。
「裏紙くださーい」ってお客さんに言われてはじめて気づいた。
裏紙って…かぶれてんじゃねぇよ!とおもったけど、かぶれていたのはわたしの方だった。
「裏紙、って前の職場でも言ってたよ」と同僚に言われる。ちぇ。
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