かぜっぴき続行中
雑誌を読んでいたら、鼻を触りながら話す人には要注意!という記事があった。
違うんだ。
かぴかぴの洟が残ったりしていないか気にしてるだけなんだ。
風邪をひいた。はなみずがとまらない。
中学生のとき、保健体育の授業の自由研究で、わたしははなみずについて調べたことがある。
最初は脳死につい、発表するはずだった。なのにいきなりはなみずになったのは、当時の意中の男子が鼻炎気味だったからだ。それだけだ。
わたし史に残る、いいレポートだったと今でもおもう。
今日、お昼休みに職場の女の子達と色恋沙汰の話をしていて、たまたまわたしが一番の年長者だったので、ならではの意見を求められた。
そんな遠回りなアプローチを仕掛けるわたしに、いったい何が言えようか。
あの頃もう少し解りやすい行動をとれれば、もっと積極的な人生がおくれただろうに。ただあの頃にあのレポートを発表していなければ、今はなみずを止めるツボを押さえることは出来なかったろう。
居酒屋などで、おもてで靴を脱ぐ羽目になることがある。
女子らしくスカートなぞ着用していても、この時期はやはりブーツなわけで。
そして上がり框に立てかけられたそれを見ておもう。
でけぇ。
電車に乗っていると、総勢27人のおばさま方に遭遇する。
みなさんおもいおもいに談笑していて、車内は騒然としていた。
そこで目を閉じてぼーっとしていると、なんだか大自然に身をおいているかのような…。
街なかに大きな木がいっぽん立っているところに、夕方夥しい数の小鳥達が寄り集まっていることがあるだろう。
ふんには注意だ。
寒くなって、本格的にチョコレートの季節になってまいりました。
テレビでお相撲を見るたびに、チョコレートが食べたいとおもう。
わたしの中には三大チョコレートなるものがあって、それはピーナツチョコ、ガルボ、おすもうさんチョコレートなのだ。
もうずいぶん前、お相撲を観に行った知人が、お土産におすもうさんを模ったチョコレートをお土産にくれたのだ。それは、お相撲っていいな…と夢見てしまうくらいおいしかった。
それ以来食べていない、幻のチョコレート。
ならば、お相撲を観に行って、買えばいいじゃないか!ということになるのだが、わたしはお相撲が苦手だ。目のやり場に困るじゃないか。
生だときっともっと困る。
朝、いつもミネラルウォーターを買う自販機に、コーンポタージュが入っていた。おおっ、となって買ってしまう。
ところが。がっこん、とでてきた缶を手に取ると、それはココア。
缶ココアは甘いのに薄くてすきじゃないのに。原材料名でも一番先に砂糖が挙がってきてるよ…。どんだけ入れてるんだよ…。
しかも、装着していたイヤフォンからは、ちょうど斉藤和義が流れはじめた。全然劇的なんかじゃありゃしない。自分が好んで流していたはずの音楽にすら憤りを感じる。
まるできかんぼうだ。
ぷりぷりしながら電車に乗ると、今日に限ってあちらの座席からもこちらの座席からも携帯電話の着信音が鳴り響いていた。みんな、マナーモードでしょうが!!
苛立ちがピークに達しようかという頃、わたしの隣に座った初老の男性の携帯電話も鳴りはじめた!
♪ちゃん、ちゃんちゃんちゃんちゃん、ちゃんちゃんちゃちゃん
すこし申し訳なさそうに会釈するおじさん。一気に「どうぞ、どうぞ!でてくださいよ!」くらいのなごやかな気持ちに包まれる。
音楽でついた傷は、音楽で癒す!(わたしは斉藤さんに傷つけられていたのか?)
ローカルなネタですみません。
「宮藤官九郎がすきでしょう」
と、よく言われる。
すきだとおもう。ただ困ったことに実際に映画を観に行ったり、最終回まできちんとドラマを観たりしたことがないのが現状だ。
今も公開している映画が観たいなぁ、とはおもっている。でも、多分行かないだろうという気はしている。
ただ、なぜかテーマソングは結構歌えるのだ。観たこともないドラマのやつも。
自分のなかでのくんくの位置付けが、いまいちはっきりしない。すききらいの座標が。ちなみに情熱大陸は録画してまで観た。リアルタイムでもちゃんと観た。
くんくの存在を持て余すあまり、「ミュージシャンとしての、くんくはすきかな」と、答えることにしている。
あ、グループ魂のこともよく知らないです。ただ音楽の趣味が合うだけなのかなぁ。
「今までに見かけたことのある芸能人」の話をしていた。ライブに行って見た、とかじゃなく偶然に。
土地柄か、中田カウスとか大木ひびきとか円ひろしのような芸人さん(?)か、賀来千香子とか沢口靖子とか船越英一郎等、サスペンス系に二分されていた。
いいなー、英ちゃん…。「お手柄、お手柄!」とかやってくれないのかなぁ。
「タキガワさんは誰か見かけましたか?」と訊かれたが、わたしは芸能人とすれ違ってもいつも全く気づかない。「あ、今通ったのばんばひろふみじゃない?」など指摘されては、早く言ってよ!と悔しいおもいをする。
そういえば先日、目の前を謀図かずおに似たひとがひとりで歩いてたけど…。
「テンション高かったですか?」
いや、別に、そんなに…
「ぐわし、は?」
されてません。
「赤ボーダー着てました?」
目の醒めるような赤トレーナーでした。
「なんだー、それ違いますよー」「赤ボーダーは着てますよー」「ただのそっくりさんですね」と、口々に否定されて寂しくなる。
謀図さんだって、この寒空にボーダーシャツはきついとおもうよ。トレーナーくらい着ますよ!そりゃあ。赤トレーナーの下にボーダーだっていいじゃないか!
第一みんな、あんな独特なひとがこの世に何人もいるって、それもどうなのか。
わたしはわたしの人生のことしかよく解らない。だが勿論世の中には、みんなが主役の物語がそこにもあそこにも潜んでいるわけだ。
よく、わかりやすいお金持ちの家がでてくるドラマで、そのお家のお嬢様や坊ちゃまに付き従うばあやだのじいやだのがいるだろう。
じいやとばあやは夫婦ってわけでもないよね?独身ぽいし。それともじいやとばあやはペアではなく、一家にどちらかひとりで充分なのか?だとしてもプライベートに家族がいる風でもなかったような気がする。
メイドさんなんかは離職率が高そうなのに対して、じいやばあやはどっぷりその家に仕えきっている。平均何年働くものなのだろう。
一旦じいやばあや職に就いたものは、死ぬまで退職が許されないのか。若いじいやばあやもあまり知らないけど、ある一定の年齢に達してはじめて、じいやばあやの称号が得られるものなのだろうか。それまでじいやばあやは何をして暮らしているのだろうか。
庭師→じいや?メイド頭→ばあや?
愛情と良識がほとばしっていそうな、じいやばあやだが、その家を知り尽くした感は一朝一夕には身につかないだろう。相当長いこと働いていないと。
でもあの酸いも甘いも噛みわけた様子…。若い頃はかなり色々あったに違いない。
ということは、銀行員→じいや、や、デパート勤務→ばあや…等の一般(?)からの募集も考えられる。場合によってはヘッドハンティングとか。定年退職後の再就職にしては、若そうだし。
ばあやじいやが主役のドラマは存在したのだろうか。
じいやの恋愛、ばあやの生い立ち。あの頃の、若さゆえのじいやの過ち。このままばあやを続けていいものか。もっと違う人生もわたしにはあったんじゃないかしら…そしてばあやの自分探し。
子供の教育係としての苦悩なんかもあるだろう。ただそこは置いといて、もっと生身のじいやばあやに迫りたい。
すごく寒い。
家のなかで、ありえないくらいの重ね着をしていても、寒くて寒くて仕方がない。最近お風呂でばかり過ごしている。唯一お湯のなかだけが安息の地だ。
ところが、お湯にはいっても自分の体がつめたいせいか、お湯がすぐにぬるくなる。
人に言われて気が付いたのだが、もしかするともしかするとわたしって冷え性じゃなかろうか。
寒い季節でなくても手がつめたいことなんてざらだし、貼るカイロ(10個入り)が一週間持たないくらい使うし、靴下はいて寝るし、ババシャツ2枚なんて余裕で重ねてる。その上、今はしないけど中学生時代は、私服の下に父のパッチを穿いていた。
小学校からのつきあいの友人がひどい冷え性で、トイレが近いと嘆いていたので、へー大変…とおもっていたら。
結局彼女とわたしは水分摂取量が違うのみ。ひとごとはよくない。
ゴムびきの湯たんぽが欲しいなぁ。
でも、湯たんぽユーザーは、朝、湯たんぽのなかの水で顔を洗わないといけない。それはちょっと面倒だなぁ、とおもっているのだ。
テレビでマナカナちゃんをみるたびに、双子って面白いなぁとおもう。
なんであんなに声を揃えて話せるのかなぁ。
日常生活で唐突に誰かと声がかぶってしまったとき、わたしたちはお互い譲り合って(少なくともどちらかは)一瞬黙ってしまうのに。マナカナちゃんは通じ合ってるだけに、ふたりとも最後まで言い切るなぁ。すごいなぁ。
ところで、仲良くしていたひとに実は双子のきょうだいがいた…と知ったとき、ちょっぴり裏切られたみたいな気持ちになるのは、わたしだけだろうか。
言ってよ!みたいな。言われたところで返す言葉は「えー!すごい!」くらいなんだけど。
聞いたところで、もうひとりのきょうだいとは気が合うか解らないのに。普通に連れてこられても結構きまずいだろうし。
双子って、わたしが妹と同時に生まれた…くらいのものなはずなのに。
でも双子に対するこのスペシャル観はなんだ。テレパシーとかきっと使えるはずだ、とわたしは今でもおもっているぞ。
わたしはもしかすると、相当鈍いんじゃないか。そういう気がするときが毎日ある。
我が家は家族もお客も同じ箸をつかっている。竹箸の、持ち手のところだけが色分けされた箸だ。
色は5色。ターコイズとピンクとグリーンとグレーと黄土色だ。わたしのなかでは、ターコイズが当たりとされている。
家族それぞれにお気に入りの色はあれど、箸立てには持ち手を下にして立てておくルールが確立されているため、一番最初に色が合ったペアを使うことになる。
ところがなかなか色が合わないのだ。
毎日とりあえず5本の箸を、必ず手にすることになる。6本目がその日のカラーだ。そして何故かそれは大抵黄土色。よりによって。
直感で、なんとなく輝いて見える箸を選んでいるのに。
わたしには野生のかけらもない。野山でもに放りだされたら、あっという間に危険に巻き込まれるだろう。
寒くなってきた。
いくら慌しくしているからといって、明日着る服をとりあえず買う!というオトコマエな暮らしをしていたら、地球にもお財布にもよくない。あきらめて衣替えをした。
我が家の衣装ケースは、みな同色同タイプのものなので、識別のために母がマジックで名前を記入してくれている。ただ複雑なのは、両親がちゃんと名前なのに対して、わたしと妹のものは「子供①」「子供②」。
学芸会の配役か。
どうして自分達が付けた名前を記してはくれないのか。子供が増えたらややこしいとおもって、と言ったって、新しく出来た子供にも名前はちゃんと付くんだよ。
いい子であろうがやんちゃな子であろうが、所詮子供は子供。分け隔てなく接しようという教育方針のあらわれか。もしくはたんに放任なのか。
イヤフォンが、耳にフィットしにくい質だ。
通勤時には音楽を聴いていることが多いのだが、ずっと手で押さえていないとぽろっぽろ落ちてくる。クリップ式にしてみても耳から浮くのでやっぱり押さえていないといけない。
毎朝セロテープでぐるぐる巻きにしてやりたいくらい、やけっぱちな気持ちになる。
一般的な製パンメーカーのパンのなかでも、「てづくり風メロンパン」とか「てづくり風あんぱん」とか、とにかくそういう名称のものがあると、つい買ってしまう。
決して手づくりではない。そんなことはわかっている。
以前、アルバイトしていた先に出入りしていた製パン工場の業者さんと飲みに行く機会があり、その時に「あの手づくり風シリーズは、生地が成型される機械から焼く機械に移されるとき、待ち構えているおっさんの手によって揉まれるんですよ」と教えてもらったのだ。
揉まれる!おっさんに!
一緒に話を聞いていた友人は嫌がっていたが、そのポイントにかなり心衝かれたわたしは、以来手づくりっぽくない手づくりにやけに反応するようになってしまった。
母にその話をしたところ、「また騙されてるね」と言われた。
「あんた桃の種飲み込んだときも、臍から芽がでるって言われて泣いてたし、愛媛のひとにみかん農家の近くにある家には、青い蛇口(水)と赤い蛇口(湯)とオレンジの蛇口(ポンジュース)があるって言われたのも信じてたよね」
そう。そしてその話をわたしに吹き込んだのは、すべて酔っ払いだ。
だけど信じてる。パン屋の酔っ払いは真実を話してくれたんだ!と。
わたしは断固として、おっさんの味方だ。
あれは本当に起こったことなのかなぁ…とおもうことは誰にでもあるだろう。
高校生のとき、寝る前に歯を磨いていると、風呂場から父が歌っているのが聞こえてきた。
ほ ら はーるさき こ~べ に
みーにみーに、って矢野顕子だ!しかも似てる!似せてる!
その時は驚いて、何も言えずに風呂場を離れた。でもそのことをおもいだしては父に、「…そういえば、ものまねってさぁ、何か出来る?」と訊いたりして、遠回りに攻めてみたりはしていた。
「ものまねかぁ…なんもないなぁ」と、父。
しかし、今日。わたしは再びあのシーンに遭遇したのだ。
今回は、聞こえてくるなりドアを開けて確認した。
やってたよね?矢野顕子。
にや。
母が寝室にテレビを買いたいと言いだした。
わざわざ買わなくても、テレビを見るのは父と母ばかりだし、茶の間にあるやつを移せばよいのだ。わたしは「相棒」さえ観られれば、とりあえず問題はない。
しかも、みんなで布団にくるまってテレビを観れば、こたつだってもう要らないじゃないか!
じゃあ、茶の間も必要ないではないか!
電車に乗っていて、さぁ降りよう…とふと横を見ると、伯父が座っていた。
あ。声を掛けようかとおもった。ただわたし達の間には2、3人の乗客がいた。そしてドアが開いた。なので、あ~…とおもったまま歩き始めてしまったのだ。
伯父は、顎を活発に動かしながらガムを噛んでいた。なんでそんなに動かしてるの?とおもうくらい、横から見た口がぱくぱくしていた。
家に着いてから、伯父の実弟にあたる父に何気なく言った。そういえば、今日電車でおっちゃん見たわ。
「へー。声掛けたか?」
いや、掛けてない。わたし電車降りるところやったし。
「ふーん」
おっちゃん、ガム噛んでた。
どうして伯父がガムを噛んでいたことなんかを、わざわざ父に話してしまったのかは解らない。ただ、父はその一言に突然の激しさを見せた。
「ガム?!あのおっちゃんはガムなんか食べへんで!そんなところ見たことない!」
…そんなこと言われても。父が伯父と暮らしていた期間よりも、離れている期間のほうが今となっては長いわけだし、伯父にガム習慣ができていたってそれはそれでいいじゃないか!伯父のガム人生、全否定か!
しかし、伯父のガム説を頑ななまでに認めない父。
「他はあっても、ガムはないわ」
他って何を指すねん!
一応身内のわたしとしては、伯父のあの顎の動きはガムを噛んでいたのだ…としておいて欲しいところだ。それでなくても、なんだか…だったのに。
11月にはいった。
今年ももうすぐ終わるなぁ、わたしはいったい何をしてきたのだろう。人混みの流れに身を委ねながら、ふとおもいあたった。
わたしが今年携帯電話に登録したひとの、実に半数以上が「ナカニシさん」であることを。その数は5人。
そのうちのおふたりは、2・3年ほど前からの知り合いではあったのだが、少なくともニューナカニシは3人。
3人!
結構な人数じゃないですか。日本にナカニシさんは着実に増えている。
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